com-yoshiのブログ

現役の天理教教会長による、ぶっ飛びな天理教のお話や、だらけきった信仰体験談を通して、アナタのココロの筋力アップをサポートします。

【夢占い】駅でミスチルの「365日」がかかって、歌えって言われたから歌ったら、「全然似てねえじゃん」って怒られたよ」

どうも夢見る男、コムヨシです。

最近もコンスタントに夢を見ていたんですが、起きた瞬間に吹っ飛んじゃってる系のやつばっかりで、全くネタになりませんでした。

久しぶりに鮮明に記憶された夢を見たので記事にしてみようと思います。

 

 

 

景色と建物が理想的に調和している街

ボクの地元の小学校から、家に向かって通学路を歩いていました。

右側に平屋の団地が3棟だったか4棟くらい並んでいて、今はとてもキレイに改築されています。

改築されてるっていう印象があったためだろうと思うんですが、

「中世ヨーロッパか!」

っていうくらいとても優雅というか爽やかというか、建物と自然が見事に調和している通りを歩いていました。

その、団地からメガネをかけた青年が出てきました。

どうやらその団地は大学の寮のような感じらしく、その青年は新入生だったのか、自分が暮らすための新しい部屋を探している風でした。

部屋の感じが気に入らなかったのか何なのかわかりませんが、出ていったようでした。

 

ボクは、中がどんな感じになっているのか見てみることにしました。

中に入ってみると、やはり寮のような感じになっていて、学生らしき若者たちがおもいおもいの時間を過ごしていました。

麻雀を打っているヤカラがいたり、何やらギャルっぽいのもいましたね。

よくよく思い返してみると、男女の隔てはなかった感じですね。

 

そこでも何かしらのやりとりがあったような気がするんですが、忘れました。

 

夢占いの結果

職場や学校など一番身近なところでの人間関係を示します。

集団生活の中で不安を感じでいたり、順調な付き合いを願っているなど何か思うことがあるようです。

また夢に嫌な印象を受けたなら、スムーズな付き合いができずにいたり仲間達との間でトラブルが起きる恐れも。

協調性に欠けているなど人への接し方に問題はないか見直してみましょう。

なかなか手厳しいですね。

協調性がないのは自覚しています。

 

 

 

公園を歩いていると中学生の集団に会う

場面が変わり、子供の頃よく遊んでいた公園の小高い山を歩いていました。

その山を下っていくと、下の方に地元の中学校のジャージを来た集団がいます。

中学生の集団は野球部らしく、

「(楽天の)オコエはダメだ」

と言っています。

ボクが「オコエダメなの?」と聞くと

「オコエはダメっす」

 

オコエ君、検討を祈っていますよ。

 

中学生の集団は、これまたボクが通っていた保育園の方へ向かって消えていきました。

消えてしまったなあと思っていたら、その方向から女性の集団がやって来ました。

その女性の集団は、今ボクの子供たちが通っている保育園の同級生のお母さんたちでした。

とても愛想よくボクに挨拶してくれました。

気がつくとお母さんたちと駅にいました。

電車を待っている駅で、ミスチルの名曲「365日」がかかります。

ボクが

「あ、365日だ」というと

お母さんたちが

「じゃあ歌ってみて!」とはやし立てるので

恥ずかしかったけど思い切って歌ってみたんです。

 

歌い出してすぐ

 

「全然似てねーじゃん」

 

って言われました。

モノマネできるなんて一言も言ってないのに。

 

そうこうしてるうちに電車がきてみんなで乗りました。

 

電車の中では、ボクの姪っ子がいつの間にか乗っていました。

右目に赤いアザのようなものがついていてビックリしたんですが、それよりも姪が一緒に乗ってくれていることが嬉しかった感じがありました。

 

 

夢占いの結果

公園散歩する夢

何となく間が持たない時や気分転換をしたい時など、ゆっくり公園を散歩すると気分が良くなりますね。公園を散歩するのは、夢占いでは不特定多数の人が集まる場所で新しい恋に出会えるという意味になります。また人から注目されるというサインでもあります。お付き合いをしている相手と一緒に公園を散歩していたなら、恋愛運や対人運が上昇しているという夢占いになります。パートナーとの関係は良好と言るでしょう。しかし歩いている歩調が合わなかったり、恋人に置いて行かれたりしていた場合は、二人がコミュニケーション不足である事を夢占いは教えてくれています。

誰かと一緒にいたような、一人だったようなという感じですが、間違い無いのは中学生と一緒になったってことですね。

流石にそんな例はネットでは検索できませんでした。

オコエ君も「ガンバ。。」としか言いようがないです。

 

ママ友が出てくる(友達じゃないけどね)

ママ友やパパ友の夢は、頼もしい仲間の暗示であると同時に、あなた自身の内面が豊かになってきたことの暗示でもあります。

吉夢の場合、身近な人間関係に支えられ、充実した毎日を過ごすことができるでしょう。

ママ友やパパ友に限らず、夢の中の登場人物は、あなたの一面を意味するものです。

つまり、あなたのさまざまな才能や側面が、もっと生活の中にいかされていく可能性があることを、夢が告げているのです。

 これはなかなかいい感じですね。

ボクの知られざる才能がもっと生活に活かされていくなんて、考えただけでもワクワクしますね。

 

歌をうたう

歌は喜び、悲しみ、幸福、絶望、歌にはあらゆる感情を言葉にし、外に自分の心を表現する方法です。
それゆえに歌う夢は、本当の自分を知ってもらいたいという自己主張の強い気持ちを暗示しています。

しかし、歌っているときの自分の気持ち次第で、良い意味にも悪い意味にもなります。
【楽しい気分】であれば、あなたは気分が高まっており、やる気に満ちている表れであり、
【悲しい気分】であれば、気分が落ち込んでいるか、これからのトラブルに見舞われる警告になります。
夢の中での自分の感情を思い出してください。

えっと、どっちもですね。

歌とは自分の思いと感情、伝えた言葉を音に乗せて、表現するものです。
そして歌詞には潜在意識からの警告、悩んでいることへのヒントが隠されています。

【歌詞の内容】

  • 失恋の歌    → いま恋人がいる、好きな人がいる人はその人の関係はうまくいかないかもしれない
  • 応援の歌    → 目標に向かっていまのまま努力していけば、叶うことを意味している
  • ひたすら叫ぶ歌 → いつも自分の思いを我慢している表れ、もっと自己表現をしてもいい
  • 絶望している歌 → ストレス、不安により生命力が低下している、まずはリフレッシュを

上記のようにそれぞれあなたに向けてのメッセージになっています。
歌う夢を見たときは歌詞にも注目して、できることなら覚えているフレーズを紙に書いてみましょう。

「365日」ってこの中で言えば応援の歌になるんじゃないでしょうか。

目標をしっかり見据えて、頑張っちゃいたいと思います!

 

姪っ子と電車に乗る

姪っ子さんと一緒に電車に乗るのは、アナタの人生で姪っ子さんが大切な存在だという意味だと思います。

電車は運勢そのものを表しています。

大切です。とても。

以前の夢占いの記事でも書きましたが、電車や駅っていうのは運勢だったり、人生の分岐点にさしかかっていることを暗示しているらしいです。

電車の中の印象は決して悪くなくて、満員電車で座れなかったですね。姪っ子も立っていました。

姪は不安そうな顔をしていましたが、ボクには不安は全くなくてとても嬉しい気持ちでした。

正確には、姪と一緒に乗ったのではなく、気づいたら姪がそばにいたっていう感じですね。

お父さんだったかお母さんと手を繋いで乗っていたと思います。

 

 

まとめ

いかがだったでしょうか。

立場的に近々変化があるのはわかっていますが、こうやって夢を診断していくのは本当に面白いですね。

あまり、記事を真に受けすぎず、いいところだけ信じて楽しく暮らしていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

第6話「恐喝容疑の真相」〝思ってたんとちゃう〟教会長の日々

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どうも、コムヨシです。

なにせ教会長なもんで、何かとバタバタとしております。

 

毎回いいところで終わるから続きが気になって仕方がない!

と、好評をいただいておりますコム次郎シリーズ。皆さんのそんな声に支えられながら今もせっせとキーボードをぶっ叩いています。

 

しのごの言わずに続きに参りましょうか。

ではいってみましょう。

 

 

 

コムヨシ恐喝容疑の真相

前回は、コムヨシに警察から電話がかかってきたところまでで終わりましたね。

ホントにびっくりしましたよ。

 

なんか、電話の向こうの警察官の語り方が、完全にボクを疑ってる感じのトーンで喋ってたんで、これはもう何をいっても無駄なんだろうと。

ボクは完全に捕まるんだろうと。

完全に悟りましたね。

 

いやいや、なぜ捕まるオレ?

なんもしてないし。

 

警察官の言い分はこうでした。

 

警察「先ほど、久保ツエ(仮名)という方から連絡がありまして、天理教のイベントをするために80万よこせと小向さんに脅されたと」

ボク「はあ」

警察「それから、退院できないはずのおじいさんを無理矢理退院させてきた」

ボク「はあ、はい」

ボク「・・・・・・」

ボク「いやいやいや、あのですね」

警察「大丈夫です。ちゃんと裏取れてますから。」

ボク「はい?」

警察「というのもですね、久保ツエさんが小向さんの実家の電話番号を教えてくれまして、そちらに確認をしてもらえればわかるはずだということで、ご実家の方に電話をしてみたんです」

ボク「ふむ」

警察「小向さんのお母さんが電話に出られまして、お話を伺ったところ解決しましたので大丈夫です。久保ツエさんの話がおかしいなとは思っていたので確認の意味で電話をしました。」

ボク「あーね!」

警察「それで、小向さんには、こういうやりとりがありましたよっていうのをお知らせするためにお電話を差し上げたということです」

ボク「了解っす!お疲れサンクス!」

警察「今後こういうことが未然に防げるように警察としてもパトロールをしていこうと思います」

ボク「それはそれはお疲れサンクス!」

 

 

というやりとりがあったわけです。

久保ツエさんこと、前奥さんは軽い認知症のような状態でした。

 

ここからはボクの想像になるんですが、当時前会長さんと前奥さんは2人だけで暮らしていました。

ヘルパーさんもいたようですが、週に何度か来てお世話をしてくれるだけだったので、基本的に身の回りの世話は自分たちでやらなければなりません。

前奥さんからしたら、自分の世話だけでも大変なのに旦那の世話なんてもってのほかなわけです。

恐らく、入院してくれてありがたいくらいに感じてたんだろうと思います。そりゃそうですよね。

「あ〜ラクチンラクチン」

ってホッとしていたところだったのに、退院してくるっていうじゃないですか。

焦ったと思います。

ワシの幸せを壊されてたまるか!!

 

そしてその幸せを崩しにかかっているのが、新しい会長だということに気づいたわけです。

あいつを何とかして止めねば。

 

というのが原因だったんじゃないかなと思います。

 

前奥さんが悪いわけではないんですね。

誰が悪いわけでもないんです。

 

ボクは、こんな老人にこんな思いをさせてしまったこの状況を何とかしなければならないなと感じました。

そこまで追い詰められていたんですね。

ホントに可哀想な人だなと思いました。

 

そして、前奥さんとの格闘はこれで終わりではありませんでした。

 

次は盗難容疑で疑われることに。。

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

 

第5話「コムヨシ恐喝容疑で逮捕!?」「就任奉告祭ってナニ?」 〝思ってたんとちゃう〟教会長の日々

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お待たせしました、コム次郎ことコムヨシです。

体調を崩してしまいまして、2日間程寝込んでました。

不整脈ではないので安心して下さい。

不整脈に関しては、このシリーズの1話目と2話目で描いた〝あの日〟だけで、それ以前もそれ以後も全く発作はありません。

当時の担当医から、「心配であれば専門の病院で診てもらえるように紹介状書きますよ」と言ってもらったので、1度だけ診てもらい、一通りの検査をしてもらいました。やはり異常はなく、

 

(紹介状のデータを見て)「確かに不整脈の波形ですが、今は全くの正常です。この時だけ何かがあったとしか考えられません。お大事に。」

 

それ以来、通院はもちろん薬も全く飲んでいません。

不整脈は、一度かかると基本的に治らないというのも特徴だそうです。

通院を続け、薬を飲み続けなければならないのだそうですが、色々な面で不思議なことが続きました。

 

というわけで、不整脈にはなっていませんのでご安心下さい。(心配していない!?)

 

またがんばって続きを書いていこうと思いますが、前回でとりあえず会長に就任したので、そこまで続きが気になっていないかもしれませんが、面白くなるのはむしろここからですので、飽きずについてきてくださいね。

 

前回までを振り返る方はこちらから↓↓

会長はつらいよコム次郎 〜〝思ってたんとちゃう〟教会長の日々〜 - com-yoshiのブログ

会長はつらいよコム次郎 第2話 〜〝思ってたんとちゃう〟教会長の日々〜 - com-yoshiのブログ

会長は辛いよコム次郎 第3話 〜〝思ってたんとちゃう〟教会長の日々 - com-yoshiのブログ

会長は辛いよコム次郎 第4話 〜〝思ってたんとちゃう〟教会長の日々 - com-yoshiのブログ

 

それでは、第5話いってみましょう。

 

 

 

新会長一番の大イベント「就任奉告祭」

 会長就任の儀式「お運び」が終わり、正式に〝会長さん〟になったコムヨシ。

2008年3月26日のことでした。

 

会長就任に際して一つの決まり事があります。

それは、お運びの日から3ヶ月以内に「就任奉告祭」というものを勤めなければなりません。

 

ちょっと話がそれますが、

お運びは、「会長変更」だけではなく神殿や教職者などを新築、もしくは改築するなど、いわゆる「普請」などをする時も必要になります。

いずれにしても、教会に関わる大きなことで変更がある場合は、まず本部に願いでなければなりません。(原則的に。。)

願い出るそれらの儀式全般を「お運び」というわけですが、このお運びをすると漏れなくついてくるのが「奉告祭」というやつです。

 

ボクの場合であれば「四代会長就任奉告祭」というネーミングになります。

普請関係であれば例えば「神殿落成奉告祭」という感じでしょうか。

 

でも、いちいち何か変わるごとにお運びなんてやってられないのが実情です。

なんでって、お金がハンパなくかかります。

 

奉告祭っていうのは基本的に、月次祭と結婚式が合体したようなもんだと思って下さい。

別に来て欲しくもない来賓とかもたくさん呼ばなければいけません。

お金かかります。

お祝い事なので、めちゃくちゃ振る舞います。

お金かかります。

 

やりたくないわけではないんです。お祝い事ですからもちろん楽しいわけです。

でも、何か変わる度に願書作ってもらって願い出て、お運びやって奉告祭やってたらお金なくなります。信者さんこなくなるでしょ。

なんのために教会やってんだよってことになりかねません。

 

なので、たいていは何か大きな出来事に合わせて、「ついでにまとめてお運び」が主流だと思います。それでもやっぱりお運びや奉告祭は大変です。

 

お金がものすごくかかるっていう話をしましたが、

やめると言っていた前会長さんが、「やっぱりやめない」と言った裏には、実はそんな事情も隠れていました。

 

 

だいぶ話がそれてしまいましたね。

 

話をボクの就任奉告祭に戻しましょう。

 

 

コムヨシが恐喝容疑で逮捕される!?

就任奉告祭はお運びから3ヶ月以内に勤めなければならないとお話しました。

そして、月次祭と別の日に勤めなければなりません。

たまに、「教会◯◯周年を月次祭に合わせて行います」というのをよくやるわけですが、これは◯◯周年を執り行う〝お運び〟をしていないから可能なわけです。

ですが、お運びをしている場合は、月次祭とは別に日を用意して奉告祭を勤めなければなりません。

 

そして、この時に注意しなければいけないのは、自分の教会の日程だけでなく、上級や大教会などの日程も考慮したものでなければならないことです。

奉告祭は自分たちで勝手に勤めていいものではなく、大教会長さんや上級の会長さんさんの出席がほぼ義務のような感じになっています。

なので他の教会の月次祭や用事なんかも考慮してやっと日程が決定します。

奉告祭の日にちもお運びの祭、就任奉告祭を勤める願いを出すのでお運びまでに決定していなければなりません。

 

ボクの就任奉告祭は5月11日に決まりました。

 

お運びが3月26日なので、約一ヶ月半です。

けっこう余裕あるなと思ってましたが、完全に甘かったですね。

 

一番大変だったのはとにかく教会の掃除ですね。

当時教会には、前会長さん夫婦が住んでいましたが、どちらも高齢です。

 

神殿掃除の一番大変なところって、どこだと思いますか?

 

ボクは、神床の上り下りだと思っています。

実家の教会であれば、祭だんから神床へ続く階段があるわけですが、たいていの教会はないし、もっと言えば教祖と霊様のところにはほぼ間違いなく階段はないです。

若い人であればそんなに苦にはならないと思いますが、それでも上るときは

 

「よっこらしょ」

 

と言わないと上れません。

そんなことを80過ぎのじいさんばあさんができるかっていう話です。

できるわけないんです。

お供え物を供えたり下げたりするだけでも大変な労働ですよ。

 

というわけで、神床はじめお社がハンパなく汚かったんです。外の方がまだましだとさえ感じるくらい汚れがたまっていました。

 

ふつう神殿の拭き掃除っていいえば、乾拭きです。

まったく意味がなかったので、水拭きをすることにしました。

何度水拭きしても、先がみえないくらいキレイにならない。

まるで畑を水拭きしている感覚でした。

とにかく水拭きをしまくりました。

 

あげればキリがないんですが、臭いもハンパなかったですね。

ネズミがでるので薬をまいてたらしいんですが、薄めてつかわなきゃいけないやつを原液でがっつり使っていたり。

一番臭いがきつかったのは台所で、そこでご飯を食べるのはまさに地獄でした。

 

当時はまだ実家から通っていましたが、そんな生活にもなんとか慣れて、前会長夫妻とも信頼関係が生まれてきていました。

とにかくボクが後を継いでくれるということを心から喜んで下さっていました。

ボクがまだ会ったことのない信者さんたちのことや教会の昔話なんかも色々教えてくれました。

 

そんなある日、前会長さんが体調を崩され病院へ連れて行く事になりました。

ふらふらして真っ直ぐ歩く事ができないほどでした。

検査の結果、血管が詰まったあとがあるらしく、軽い脳梗塞のような状態だったようです。即刻入院になりました。

 

命に関わるほどの容態ではなかったようなので一安心でしたが、ボクは別のことに心配をしていました。

それはお金です。

最初にも書いたように奉告祭には何かとお金が必要になります。

奉告祭の予算は陸奥川内分教会の会計で賄うわけですが、教会のお金というものはほぼありません。

じゃあどうするか。

前会長さんのが工面して下さるということになっていました。

というのも、前会長さんは戦争で腎臓結核になり、以来、軍事恩給というものを国から貰っていて、かなりの蓄えがありました。

 

お金は通帳に入っていましたがカードもなくあっても暗証番号を忘れていておろす事ができません。本人が実際に行っておろすしか方法がありません。

というか、お金のことなのであまりガツガツやりたくなかったんですよね。

その前会長さんが入院しまったわけです。

いつ頃退院できるか病院に問い合わせても、目処はたっていないとのこと。

どうしようか。誰かに借りるか。

そんなことを前会長さんの奥さんとそんな相談をしている矢先、病院側から退院できる旨の連絡がきました。

奥さんもとても喜んでくれました。

 

病院に迎えにいき、意気揚々と教会に帰ってきました。

前会長さんを教会におろし、荷物を車から降ろそうとしていると携帯電話が鳴りました。

知らない番号でしたが町内の番号だったので、でてみました。

 

「五戸警察ですが、小向さんの携帯電話でまちがいないですか?」

「はい」(警察?)

「さきほど、あなたから脅されたという通報がありましたので連絡いたしました」

「え? ええええええええええええええ?」

 

奉告祭まであと1週間。

 

 

つづく

 

第4話 「願書のハンコがもらえない!?」「会長就任儀式【お運び】」〝思ってたんとちゃう〟教会長の日々

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どうもコム次郎こと、コムヨシです。

 

男はつらいよ 寅次郎」をご覧になったことはありますか?

ボクは「男はつらいよ」が大好きです。

 

このシリーズを初めてちゃんと見たのが、教会長に就任したころでした。

 

一度でもご覧になった方はわかると思いますが、寅さんてすごいモテるんですね。

自分にとても素直で、思ったことは実行に移さないと気が済まない。

言わなくてもいいことを、つい言ってしまう。

頼まれたら断れない。

そんな純粋で真っ直ぐな生き方の寅さんに、マドンナたちはいつしか心を許し寅さんに恋をしていきます。

 

基本的に寅さんは鈍感で、女性の気持ちになかなか気づきません。

自分に気があるとわかったとたんに、行方をくらましてしまいます。

 

全48作あるこのシリーズですが、毎回このやりとりなんです。

サブタイトルが「ああ 失恋48連発」とあるように、寅さんは最後まで誰かと一緒になることはありませんでした。

失恋とありますが、決して女性にふられるわけではなく、自分が逃げてしまうんですね。こっぱずかしいんでしょうね。

 

そんな「男はつらいよ」にボクの会長人生を

 

全く重ねていません。

 

それでは、今回の記事に参りましょう。

 

前回の記事では

  • 住み込みという立場から逃げ出した
  • 会長になる話が白紙になる
  • 逆にボクがお願いし、正式に会長になることが決まる

という内容でした。

 

結局、就任まではたどり着きませんでしたがww

 

今回はいよいよ就任しますよ。

 

 

 

願書のハンコがもらえない!?

会長になることが正式に決まってからは、まさにトントン拍子で話が進んで行きました。

この頃になると、ボクが教会長になるらしいという噂が広がり始め、周囲がざわついていましたが、ボクはそんなことにかまってる暇はありませんでした。

 

会長に就任するためには、本部へその旨を願い出なければなりません。

そのために提出する願書は大抵の場合、大教会の教務(事務)関係の係の方にお願いして書いてもらうと思います。ボクもそうでした。

内容は、ボクの個人情報、経歴、教歴(天理教内での資格等の履歴)などになります。

特に問題もなく、あとはハンコをもらうだけというところで問題が起こりました。

 

天理教の教会は基本的に役員とよばれる人たちがいます。

多くの場合、宗教法人として登録してある役員と同じ場合が多いと思うんですが

 

宗教法人

代表役員1名(会長さん)、責任役員2名で構成されることが義務づけられています(多分)。

 

そして、本部への願書を提出するためには、この役員2名の署名捺印が必要になります。

 

 

最初に結論を言うと、1人の役員の方から署名捺印がもらえませんでした。

 

たいてい、責任役員にはその教会で特に熱心な方が任命されますが、陸奥川内分教会の場合は、熱心どころか基本的に信者さんが少ない。

その役員の方はいわゆる

 

〝名前だけ役員〟

 

でした。

 

これは、決してその役員の方が悪かったのではなく、ボクの事態の認識不足と説明不足が招いたことでした。

 

もちろんボクは、丁寧に説明したつもりだったんですが

 

当時の陸奥川内分教会の会長さんは89歳で、約60年間会長をされた方でした。

60年間会長が変わらなかったんです。

 

〝名前だけ役員〟の方は、これまで会長が変わるという事態に遭遇したことがありませんので、会長が変わるっていうことがピンときていない感じでした。

 

名前だけですから、当然天理教のこともよくわかっていません。

 

しかも、見た事もない若造が「会長変わるからハンコください」って来ても

 

「怪しい」

 

と思われても仕方のないことです。

 

やんわり拒否され、その日は結局ハンコはもらえずに帰ることになりました。

 

もう1人の役員さんは熱心な方で、ボクへの理解も相当ありました。

その役員さんからの説得でようやくハンコをもらうことができました。

 

今となっては笑い話ですが、当時は途方にくれてしまい、本当に会長になれるんだろうかと落ち込んだものです。まあ、なりたかったっていうわけではなかたんですが、色々進めてくれている方々に迷惑をかけられないなという感じで、プレッシャーになっていたんだと思います。

 

 

 

「お運び」と呼ばれる会長就任の儀式

願書も無事完成し、いよいよ会長就任へ向けてあと一歩というところまできました。

 

会長就任の儀式である「お運び」は基本的に毎月26日と決まっています。

ボクは、2008年の3月にお運びをすることになりました。

なので、会長就任は2008年3月26日というわけです。

 

お運びをする月の10日〜14日(たしか)の日程で「教会長任命講習会」というものを受講します。

この講習会で、会長になってからの心構えや、自分がどんな会長さんになりたいかをイメージさせるような内容だっと思います。

 

講習も無事終わり、いよいよお運びです。

 

お運びには、新しく就任する予定の会長さんを始め、前任の会長さんや奥さん、そして役員さん方も一緒に行きます。

 

前任の会長さんは当時89歳という高齢でしたが、車で片道15時間の道中を文句も言わずに同行して下さいました。

 

当初の予定では、奥さんも同行されることになっていたのですが、出発の朝になって急に自信がなくなったらしく、天理行きをキャンセルされました。

 

最終的に、ボク、前会長さん、役員さん1名、そしてボクの親父の4名で行くことになりました。

 

前会長さんや役員さんと合流するため、陸奥川内分教会へ行くと、突然見知らぬ少年がボクに突進してきました。

 

彼の名は「梨本けんた君」(仮名)。

ボクの人生を大きく変えてくれた少年との最初の出会いでした。

 

急遽行けなくなった奥さんに代わり、けんた君が同行することになり5名で賑やかに天理へ向かいました。

 

26日は、天理教本部の月次祭の日でもあり、参拝もするので当日はとても忙しかった記憶しかなく、どんなことをしていたかあまり覚えていません。

 

任命講習で一緒だった友人たちとの再会を喜んだり、これからの意気込みを語りあったりしながら、自分のお運びの順番を待ちました。

 

夕方4時ころ教祖殿に集合し、解散をしたのは夜の7時頃だったでしょうか。

 

解散後、他の新会長さんたちは付き添いの方や担当の係の方々とお礼のおつとめをつとめている中、ボクは

 

「帰りは1人でおつとめして帰ってきてね」

 

との言葉通り、1人さみしく会長就任のお礼のおつとめをつとめ、詰所に帰りました。

 

 

それはまるで、これからのボクの教会長人生を物語るかのような会長としての門出でした。

 

 

つづく

第3話 「住み込み生活からの逃亡」「そんなに会長になりたいのか」〝思ってたんとちゃう〟教会長の日々

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どうもコム次郎こと、コムヨシです。

 

ブログを始めて3ヶ月程になりましたが、「コム次郎」シリーズがコムヨシブログ史上、空前絶後の大好評をいただいており、とてもビックリしています。

 

教会長になってから、特に大した成果をだしていないボクですが、若くして10年間「教会長をやっていた」という、ボクからしたらただの時間の経過が、人によっては価値のある話になっているようです。

 

ブログへのアクセスが上がることは、ブログを書き続けるモチベーションを保つ大きな大きな要素です。

 

でも、読んでいただくためには、価値のある内容でなければ読んでいただけないので、ボクも誰かの一助となるよう心を込めて、くそコムヨシ体験談を書きなぐっていきたいと思います。

 

前回のお話では

  • 不整脈という病気は、命にかかわるものとそうでない二種類にわけられる
  • ボクは「心房細動」という、命にかかわるやつにかかった
  • 長期入院を覚悟させられたが、一泊だけで退院した
  • 実は、いつ気を失って死んでもおかしくない程の重症だった

 

という内容でした。まだ読まれてない方はこちらからどうぞ↓↓

第1話:会長はつらいよコム次郎 〜〝思ってたんとちゃう〟教会長の日々〜 - com-yoshiのブログ

第2話:会長はつらいよコム次郎 第2話 〜〝思ってたんとちゃう〟教会長の日々〜 - com-yoshiのブログ

 

今回は

  • 教会長就任までのあれこれ

についてまとめてみようと思います。

 

 

 

住み込み生活から逃げ出したコムヨシ

不整脈も治まり、無事退院できたコムヨシでしたが、一つだけ不安がありました。

それは、上級教会での住み込みでした。

 

上級教会での住み込み生活は、色々な意味で精神的な負担がとても強く、正直なところ帰りたい場所ではありませんでした。

 

でも、「住み込みが終わったら好きなことをしてもいい」という親との約束があったので、そこはなんとしても終わらせてから自分の道を進みたいと思っていました。

 

陸奥川内分教会(むつかわうちぶんきょうかい)の会長になることを決意したものの、当初の予定通りいつ変わるという具体的な日程が決まっているわけではなく、当時の陸奥川内の会長さんと相談をされていたわけでもないようでしたし、ボクが一人決意しただけのことであって、それがために即時に何かが変わるというわけではないという状況でした。

 

上級教会の住み込み生活が2年目に入っていました。

当初は1年間で終わる予定だったんですが、翌年に「前真柱様」(天理教で一番偉かった方)が上級教会にお出でになることが決まっており、一人でも多く人手が欲しい時期でした。

断る事も可能だったわけですが、そういった方を「迎える側」を経験することは滅多にないことだと思ったのと、純粋に大変だろうから、微力ながら力になりたいと思ったからでした。

というわけで、まんまと(自分に)のせられて2年目を迎える事になりました。

 

 

そしてその年の9月、前真柱様がお出でになり、盛大な祭典が執り行われました。

 

「迎える側」として迎えた当日は、やはり「迎える側」でしか味わえない充実感や達成感があり、とても有意義な時間を過ごす事ができました。

 

祭典も終わり、数日間はその余韻に浸りながら、片付けやその他の仕事をこなしていました。

 

毎年3月と9月の彼岸月に、天理教では「霊祭」(みたまさい)というものが各教会で勤められます。

 

上級教会では、23日に霊祭が勤められているんですが、この霊祭を勤め終えたとたん、ボクの中で何かが切れたんです。

 

その日を境にボクは、何かにせかされる様に上級教会の方々に勤めを終わらせる旨を伝え、実家に帰ってきました。

やめることを相談したのではなく、「今日でやめます。帰ります。」と、強引にそして勝手に帰ってきたんです。

 

退院後も上級教会での精神的な負担が変わる事はなくて、自分の心の弱さ、甘さから、その場を逃げ出しました。

 

 

 

そんなに会長になりたいのか

住み込み生活から逃げ出したボクは、中学卒業以来ほとんど帰ることがなかった実家での暮らしを満喫していました。

 

満喫してはいたものの、どこか後ろめたさというか、逃げ出した恥ずかしさというか、親への申し訳なさというか、モヤモヤしたものを抱えながら暮らしていました。

 

かと言って、逃げ出したことに対しての後悔は全くなくて、そこに関しては例えようのない爽快感に浸っていました。

 

もう一つ心に引っかかっていたのは、陸奥川内の件がどうなるのかということでした。

 

少し信仰的な話になりますが、不整脈が治ったのは教会長として陸奥川内に行く事を決心したからだと確信していました。

ボクの命は陸奥川内に行ってこそ役立てられる。

そんな風に思っていたので、もしも陸奥川内の話がなくなったら、ボクの命はどうなるんだろうという不安があったんですね。

 

別に会長になりたいってことではなくて

会長になることを決心して助けられた命が、会長にならなかったらどうなるんだろうって思ってたんですね。

 

というのも、住み込みの勤めを中途半端な形で投げ出すようなヤツに、会長という立場を与えられるとは到底思えなかったんです。

 

そんなことを考えながら、特に誰かに相談するわけでもなく、ただただ時間が過ぎ、実家である百石分教会の秋の大祭(1月と10月は月次祭とは言わず、大祭といいます)を迎えました。

 

百石の月次祭には上級教会から会長さんや前奥さんがお出でになるんですが、その日は会長さんがお越しになりました。

 

バツがわるくて顔を合わせられず、申し訳ないやら恥ずかしいやらという感じでモゾモゾしながら、その日のおつとめを勤め終えました。

 

祭典後、上級の会長さんから客間に呼び出されました。

 

怒られるんだろうな、と思いながら恐る恐る客間に向かいました。

 

顔をあげられず、下を向いたまま会長さんの前に座ると、会長さんの口から思いもよらぬ言葉をかえられました。

 

 

陸奥川内の会長さんが、そろそろ会長をやめたいと仰っているので、改めて陸奥川内へ行ってもらうお願いに上がりました」

 

 

まさかの展開に驚きましたが、ボクには断る理由が一つもなかったので、こんな自分でよければと、お受けしました。

 

 

その後、奈良県天理市にある天理教教会本部で、会長になるための講習会を受講し、あとは願書を提出して本部に届け、「お運び」とよばれる会長就任の儀式をするだけという段階で事件はおこりました。

 

 

そろそろ会長をやめたいと仰っていた、当時の陸奥川内の会長さんが、「やっぱりやめない」と言い出したんです。

 

やめない以上は、ボクがなるわけにもいきません。

願書もまだ作っていたわけでもないし、まあいっか、という感じではありました。

実質、会長になる話が白紙になりました。

 

正直なところ、父は息子が会長になることをあまり望んでいなかったようで、話が流れたことをわりと喜んでいたように思います。

 

子どもを思う親心だったと思います。

 

苦労すると分かっている教会にわざわざ行かせるのは、誰でも気が進まない事だと思います。

 

父はボクに「本部勤務」を進めてきました。

 

ボクはその勢いに圧倒されたのか、「本部勤務もありかな」という軽い気持ちで、その思いを受けることにしました。

 

早速父は、既に申し込みが終了していた本部勤務の受付に電話をかけ、特別に面接を行ってもらえるよう取りはからってくれました。

 

こういうときの父の行動は本当に早い。よほど会長をさせたくなかったのでしょう。

 

 

本部勤務に行く覚悟を一旦は決めたボクですが

 

〝たすけられた命〟

 

この言葉がどうしても頭から離れません。

 

本当にこれで良いのだろうか。

 

なんというか、神様から試されているような感覚でした。

 

一度は会長になると決心したものの

 

『その決心が本物なのか? 本当にお前は行く覚悟があるのか?』

 

と問われている気がしました。

 

 

こちらから改めてお願いし、それでも会長さんがやめないというのであれば、その時は潔く本部勤務の道を選ぼう。

 

そう心に決めて、就寝前だった両親の部屋へ向かいました。

 

 

ボクの思いを聞くなり父は

 

「そんなに会長になりたいのか」

 

と、顔を合わせません。

 

「なりたいわけではない。本当にこれでよいのか確認したいのだ」

 

と、告げました。

 

母は

「それが、あんたの出した答えなんだな?」

 

と、笑顔で受け止めてくれました。

 

 

翌朝、上級の会長さんにその旨を電話でお伝えさせていただきました。

 

お昼過ぎに突然、上級の会長さんが来られ驚いていると、その後ろには陸奥川内の会長さんの姿もありました。

 

そして

 

お二人で口を揃えて

 

「改めて、お願いにあがりました」

 

ボクは、あまりに目まぐるしい事態の展開に動揺しながらも、どこか清々しい爽快感も感じていました。

そして、後へ引けない状況に気を引き締め、姿勢を正し

 

「こちらこそ、よろしくお願いいたします」

 

と、答えたのでした。

 

 

 

つづく

第2話 「不整脈ってナニ?」「いつ気を失なって死んでもおかしくない」〝思ってたんとちゃう〟教会長の日々

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どうもコム次郎こと、コムヨシです。

 

前回は、コムヨシが不整脈で入院したところまでお伝えしました。

 

前回の記事はこちらから↓↓

会長はつらいよコム次郎 〜〝思ってたんとちゃう〟教会長の日々〜 - com-yoshiのブログ

 

今回は

  • 不整脈という病気について
  • 容態はその後どうなったのか

その辺についてまとめてみようと思います。

 

早く教会長になってからの事を読みたいだろうと思いますが

 

ジラします。

 

 

 

不整脈の中でも『心房細動』っていう病気だよ。

不整脈というのは、いわゆる心臓病の一つです。

不整脈じたいはあまり珍しい病気ではなく、「ボクも不整脈だよ」っていう人に割とよく会います。

 

不整脈には様々な種類が存在し、全く自覚症状を伴わない不整脈もあるが、ある種の不整脈は生命の危険を伴っており突然死の原因とも成りうる。

ただし、普通の人でも体調不良時に不整脈を起こしていることはよくあり、また常時不整脈を起こしている人でも日常生活にはなんら問題がない場合も多い。

心臓は全身に血液を送り出すポンプの働きをしている。

ポンプを動かしているのは電気刺激である。まず、右心房にある洞房結節 (SA node) が興奮し、電気刺激が心房を介し右心房の下方にある房室結節へと伝わる。更に興奮は房室結節からHis束、プルキンエ (Purkinje) 線維へと伝導し、心筋全体へと電気刺激が伝わっていく。刺激生成あるいは伝導経路のどこかが障害され、心臓の興奮が正常に伝わらない状態が不整脈を起こす。

例えば、心房細動は、心房の筋肉の各部分が無秩序、不規則に興奮している状態であり、この無秩序な興奮が心室へと伝達されることで脈が不整となる。

また多量のコーヒー摂取からカフェインにより不整になることがある。

 

引用元:Wikipedia不整脈

 

ふむふむ。って感じですかね。

 

要約すると

  • 不整脈には、危険なものとそうでないものがある
  • 血液を循環させるポンプを動かす電気信号が正常に伝達されていない状態が「不整脈

という感じになると思います。

 

引用の中にも出てきましたが、ボクが患った不正脈は「心房細動」と呼ばれるものでした。

 

心室から送り出される血液の体積が減って心臓の効率が低下するだけでなく、心房の中の血液がよどみ、血栓ができやすくなる。心房細動は、めまいや動悸、疲れやすさだけでなく、脳梗塞(特に脳塞栓症)と心筋梗塞の原因となりがちである。老人に多い。

 

引用元:Wikipedia「心房細動」

 

そうなんです。

心房細動っていう病気は、それだけでとても辛い病気なんですが、血栓ができやすくなるっていうのが特徴的なんですね。こわ〜

 

 

 

いつ退院できるかわからない状況

というわけで入院することになりました。

ナースステーションで常に脈を確認できるように、ボクには心電図がとりつけれられたままでした。

看護婦さんから「死にたくなかったら携帯電話はできるだけ使わないでね♥︎」

と、忠告されました。

その当時ボクは、自分のおかれている状況を詳しく説明されていなかったので、看護婦さんの言葉が本気なのか冗談なのか理解できませんでした。

心電図の波形が電波でナースステーションのモニターに映されるという状況だったようで、携帯を使うと電波が乱れて正しく計測できない、ということだったのかなと思います。

 

主治医の先生からは「詳しい検査をしてみないと何とも言えませんが、今の状態だといつ退院できるかわかりません」

つまり、長期入院を覚悟せよ。的な感じだったようです。

 

その頃、ボクの両親は事の由を伝えるため、上級教会へ向かっていました。

上級教会では、会長さんとそのお母さん(以後:前奥さん)が待っていてくれました。

 

住み込みの最中に、入院ということになってしまい申し訳ありません、的なことを伝えたようです。(だったと思います。。)

 

すると、前奥さんから思いがけない言葉が返ってきました。

 

 

 

すべては偶然か、必然か

ボクが不整脈に倒れた、4月8日。

その日から遡る事約一週間前、ボクは前奥さんの運転手として信者さんのお宅に向かって車を走らせていました。

その道中、前奥さんからこんな質問をされました。

 

前奥さん:「あなたは、今の住み込みの生活が終わったら何かやりたいことはあるの?」

ボク:「布教の家にいくか、単独布教みたいなことをやってみたいなと思っています」

前奥さん:(ちょっと沈黙があってから)「あなたには『陸奥川内分教会』に行ってもらいたいと思ってるの」

ボク:「はあ」

前奥さん:「陸奥川内は会長さんが高齢で、後継者もいないでしょ? あなたは実家の後継者だからずっととはいわないけど、10年くらい行ってもらいたいと思ってるの」

ボク:「はあ」

前奥さん:「今すぐにどうこうってことではないから、とりあえず気にとめておいてちょうだい。」

ボク:「はあ」

 

というやりとりがありました。

 

その一週間後、ボクは「陸奥川内分教会」の月次祭の日に不整脈になりました。

 

ボクの両親は、前奥さんから

 

「息子さんを陸奥川内分教会へやりたい」

 

という、正に寝耳に水な言葉をかけられました。

 

両親は「息子次第です」

とだけ答えて、帰ってきたそうです。

 

母はその件をボクのところに伝えに来ました。

 

ボクは「うん。行く」

とだけ答えると、母はおさづけ(神様へのお祈り)を取り次いでくれました。

 

その瞬間

 

ボクは今まで体感したことのない、不思議な温かさに包まれました。

ボクがいる空間だけ色というか空気の質感というか、明らかに普通ではない、それでいてとても安心できる何かに包まれている感じがしました。

 

ボクが教会長になる決意をした瞬間でした。

 

 

 

治ったので、帰りますか?

翌日、詳しい検査が始まりました。

午前中かかって一通りの検査を終え、あとは検査結果をまつばかりという状況です。

 

夕方4時頃だったでしょうか。

 

主治医の先生が暗い面持ちでボクのベッドの前に顔を出しました。

先生から伝えられた事は大きく3点。

 

  • 間違いなく不整脈だったが、ある瞬間を境に正常に戻った
  • 色々検査をしたが、原因がわからない
  • 治ったので、帰りますか?

ということでした。

 

いつ退院できるかわからないと言われていた容態だったのに、一晩で正常に戻ってしまったことが不思議で仕方なかったようです。

退院するかどうかを患者に質問するくらいですから、よほどテンパっていたようです。

 

というわけで、退院しました。

 

 

 

いつ気を失って、そのまま死んでもおかしくない程重症だった

実は、ボクが入院した病院には実家の教会の信者さんが看護婦として勤務していて、入院初日は彼女も私を担当してくれていました。

 

その信者さんから後日談で聞いた話ですが、

入院初日のボクの脈は、いつ気を失って死んでもおかしくない状態で、ナースステーションはピリピリした空気だったそうです。

容態を心配しながらも、勤務を終え帰宅し、翌日の夜勤に来てみると、

病室から名前が消えているではないですか。

 

「やっぱりダメだったんだ」

 

そう思ったんだそうです。死んでしまったと。

教会の会長夫妻であるボクの両親に、なんて言葉をかけたらよいのやらと思ったとか、思わなかったとかw

 

実際のところは、すでに退院していただけというオチなんですが

それくらいボクは重症だったそうなんです。

正常になるなんて、しかも退院するなんてありえないくらいヤバかったそうなんです。こわ〜

 

 

つづく

 

 

会長はつらいよコム次郎第1話「コムヨシ教会長になる23歳の春」 〜〝思ってたんとちゃう〟教会長の日々〜

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どうもコム次郎こと、コムヨシです。

今年33歳になりましたが、来年3月で教会長就任10周年を迎えるんですが、どこからも取材の依頼がこないので、頼まれもしないのに教会長として歩んできた10年間を一人で勝手に振り返り、一人で記事にまとめていきます。

 

概ね「振り返り日記」(そんな言葉あるの?)のような感じになりますが、これから教会長をする可能性がある方、教会長になったばかりの方に、

 

「そうそう」とか

「そうなんだよね」とか

「あれ腹立つよね」とか

「オレ何してんだろ」とか

「組織おかしくね?」とか

「よし! 俺もかましてやるか!」

 

と思ってもらえるような、内容にまとめていければなと思います。

 

 

 

23歳コムヨシ、教会長になる!?

そうなんです、ボクは23歳で天理教の教会長になっています。

2008年3月26日です。

みなさんは23歳の時って何してましたか?

 

大学行ってた方なら、新卒一年目でようやく仕事にも慣れてきた、みたいなころでしょうか。

高卒で就職された方なんかは、すでに仕事も板についてきて、会社や先輩の愚痴を居酒屋でぶちまけてるような具合でしょうか。

 

コムヨシは、教会長やってました。

 

実際には、その三ヶ月後に24歳になっているので、23歳はちょっと言い過ぎなんですが、それでも教会長就任年齢の相場からいくとだいぶ若いです。

 

だいぶっていうか、普通任せられるような年齢ではないですよね。

 

ただのくそガキですから。

 

実際、ただのくそコムヨシでした。

 

今は、超絶怒濤のくそコムヨシですが。何か?

 

 

 

くそコムヨシが教会長になった理由。不整脈という病気を聞いたことありますか?

今回の記事では、ただのくそコムヨシだったボクがどうして教会長にならねばならなかったのかに迫りたいと思います。

付き合いの長い方でも、この辺のことはあまり知らない方が多いと思いますので、じっくり読んでみて下さい。

 

教会長就任から遡る事約一年前、2007年4月7日。ボクは地元の友人の結婚披露宴に出席していました。

当時のボクの生活は、2006年にコロンビアから帰国し、息つく暇も無く青森県五戸町(実家から車で30分)にある、実家の教会の上級教会に住み込んでいました。そのへんのいきさつはこの記事では割愛します。

 

2007年当時もまだ上級教会に住んでましたが、休みをもらって披露宴出席がてらの帰省をしていました。

 

同級生の結婚式に出席するのは初めてのことだったこともあり、あまりにも楽しくてはしゃぎすぎたのもあり、少し飲み過ぎた感はありました。

 

披露宴翌日、ボクは上級教会の仕事にもどらなければなりませんでしたが、飲み過ぎたのか、胸の辺りが苦しく、全身がだるい感じがしていました。

 

その日の上級教会での仕事というのは、部内教会(実家から見ると兄弟教会)の月次祭のお手伝いに行くことでした。

 

上級とか部内とか聞き慣れない単語ですが、上級=親、部内=子ども、という感じで解釈してもらえればわかりやすいですかね。

実家の百石分教会も、上級五戸の部内教会という関係になります。

 

月次祭は基本的に10時とか11時くらいから始まるので、だいたいその時間に間に合えばよかったので、とりあえずギリギリまで寝て少しでも疲れをとる作戦にでました。

 

しかし、いつもの二日酔いの感じとは違い、横になっても眠れません。

 

頭の中に響き渡るくらいの大きな音で、何かが鳴っています。

 

心臓の鼓動です。

 

しかも、急に鼓動が早くなったかと思うと、鼓動がなくなったり。

 

鈍感なボクは

 

「ああ、今日はいつもより鼓動が変だな」

 

くらいにしか思いません。

 

そもそも鼓動が聞こえる時点で異常事態なのにも気づきません。

 

「今日は良く聞こえるなー」くらいなもんでした。

 

でもだんだん、「これ、やっぱおかしいよな。やばいのかな?」

 

と思い、とりあえず起きてみることにしました。

 

 

その当日、実家の教会では「おやさまご誕生祭」が行われていて、たくさんの方々が来られていました。

 

忙しそうに立ち働いている母を呼び、脈がおかしい旨を伝えました。

 

母は准看の資格をもっていたので、とりあえず診てもらおうと思ったんですね。

 

母は一言「不整脈だごった(だろうの意)」。

 

神殿でおさづけ(神様へのお祈り)を取り次いでもらい、病院へ向かいました。

 

その日は日曜日だったこともあり、簡単な心電図検査しかできなかったんですが、

 

「間違いなく、不整脈です。このまま入院して下さい。」

 

との診断でした。

 

「え、入院?」

 

ボクは、まったくわけがわからず

診察台の上で心電図の線につながれたまま

悔しさなのか、悲しさなのか、辛さなのか、自分でもわからない涙をこらえることができませんでした。

 

上級の教会へ事の由を伝え、実家にも連絡し、ボクは入院することになりました。

 

忘れもしない

 

2007年4月8日

 

青森ではめったにない、穏やかな春の陽気に包まれた、とても暖かな日でした。

 

 

 

つづく