com-yoshiのブログ

自らの世界の可能性を切り拓くための心の使い方をお伝えします。

【夢占い】神殿でやくざの会議!その意味は!?

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どうも、夢男ことコムヨシです。

ボクは、小さい頃からほぼ毎晩と言っていい程、夢を見てきました。

怖い夢もあれば、吹き出してしまうほど面白い夢、インパクトがあったのにすっかりわすれてしまった夢、未だにはっきり覚えている夢など、同じ夢でも様々です。

今回は、せっかく見た夢を少しでも記憶しておきたいという理由と、せっかくだから【夢占い】サイトの検索をして、どんな意味があるのかも公表して、楽しんでみようという理由から、ボクの赤裸々な夢の数々を公表しちゃいます。

それでは早速今朝のとれたてホヤホヤの夢からいきましょう。

 

何かのスポーツの大会?電車で長距離移動

今回も色々な夢をみましたが、覚えているのはこのあたりからです。

何かの大会に参加していた、もしくは応援をしていたようです。

昨日まで、夏の甲子園で母校が数十年ぶりに大健闘してくれたためかもしれません。

大会後、ボクは電車を乗り継いでいます。頭の中にグーグルマップの様な映像が出てきて、出発点と到着点を線で結んでいます。

出発点も、到着点も覚えていませんが、青森県新潟県あたりを結ぶ線だったように記憶しています。

乗り継ぎだったのか、途中下車して何か用事を足したのか不明ですが、駅で仲の良い駅員さんと話をしています。たしか、目的地までの最短、最速の行き方を尋ねたように思います。そして、なぜか駅員さんは話をはぐらかしてどこかへ消えてしまいます。教えてくれよ。。。

 

 

スポーツの夢の意味とは

スポーツの夢は、あなたに乗り越えなければいけない試練があることを暗示しています。

そして、乗り越えた先に大きな成功を手に入れることができることを意味しているのです。

それと、スポーツの勝負は夢で見た勝ち負けが現実では反対になります。

試合で勝つ夢を見た場合には現実で負けることを暗示していて、試合で負ける夢を見た場合には現実で勝つことを暗示する逆夢となるのです。

スポーツの夢は、あなたが行っているスポーツの種類や内容によって意味が大きく変わってきますので、これから詳しくご説明させていただきます。

引用:占いの館 黒猫館

 

おお、何か大きな成功を手に入れる前触れだとでもいうのでしょうか。楽しみですね。でも、何やら続きがあるようです。

スポーツをする夢は、あなた大きな成功を収めたり、成長できることを暗示している吉夢です。

ただ、大きな成功や成長を手に入れる為には、乗り越えなければいけない試練があることも意味しています。

あなたには乗り越える実力がすでに備わっているので、あきらめずに努力を続けていってください。

引用:占いの館 黒猫館

 試練があるってことですね。困難なことが訪れる前触れだとでもいうのでしょうか。楽しみですね。おや、まだ続きがあるようです。

スポーツを見る夢は、あなたに悪いことが起きることを暗示している凶夢です。

好きなことに集中し過ぎて、本当に大切なことを見失ってしまう可能性があります。

周囲とのトラブルが起きることも暗示しているので、今の自分の生活を見直してみた方がいいかもしれません。

引用:占いの館 黒猫館

なに!?見るほうだと凶夢!?

ん〜、どっちだったかな〜。スポーツしたということにしておきましょうかww

引用先では、最後に次のようにまとめられています。

スポーツの夢は、あなたに「試練」が訪れることを暗示しています。

そして、あなたに降りかかる試練はすべて、あなたを成長させてくれます。

行動すれば失敗することもあるし、心が折れそうになることもあると思います。

それでも乗り越えた先には、あなたの望む世界が待っています。

自分を信じて、目的に向かって進んでいってください。

あなたが本気で取り組んで、出来ないことなんてほとんど無いのですから。

引用:占いの館 黒猫館

なるほど〜。とにかく試練が訪れるっていうことを覚悟しておけばいいんですね。つまりは困難なことが起こると。

「困難なことと向き合う」については持論があるので、こちらも合わせて読んでみて下さい。

試練や困難と聞くと、不安になりがちですが、全ては自分のためになるものなわけですから、恐れずに正面から向き合いたいものですね。それでも無理そうなら、人にたすけてもらえばいいわけです。スポーツの夢はコミュニケーションの問題も示唆しているようですから、人に上手に助けてもらうということも大事なポイントなのかもしれませんね。

 

電車の夢は、人生の分岐点にさしかかっている暗示?

電車の種類

電車や列車、汽車などの種類によって夢主の運勢がわかるらしいです。

  1. キレイで豪華な電車
  2. ボロい・汚い列車
  3. 年季が入った電車
  4. 汽車にのる
  5. 貨物列車

ボクの場合、「普通の電車」だったので、これらのどれに当てはまるのかは微妙なところなんですが、①ではないと思うので、③を当てはめてみました。

③年季が入った電車

古めかしいけど、どこか味わいがある電車は、夢主がそこまで努力してきた成果がそこに表れている。無理な人生を歩むことはなく、自分のペースで進めばいいことを表している。

引用:大人の無料占いサイト 恋愛と人間関係

 なるほど〜。なんとなく今の自分を肯定してくれてる感がとても好感触ですね。自分のペースでってとこに安心感を覚えます。

車内の様子で運勢がわかる

自分が電車に乗ってる場合は、自分自身の運命がわかり、電車が走ってる様子を遠くから見てる場合は、自分を客観的にみつめようとしているあらわれ、だそう。

  1. 上り電車と下り電車
  2. 自分が電車にのる
  3. 誰かが電車にのってくる
  4. 自分が電車からおりる
  5. 誰かが電車からおりる
  6. 電車がとまる
  7. 電車の席がない
  8. 電車が爆発する
  9. 電車が正面衝突する

この辺はとても曖昧な瞬間だったので、なんともいえないのですが、確かに電車には乗ったはずだし、駅員さんに乗り換えの方法を尋ねていたことから、⑥の「自分が電車からおりる」を当てはめてみます。

⑥自分が電車からおりる

自分の未来が決まったサイン。降りた駅の印象が夢主のこれからの人生をあらわしている。これから夢主の環境がどんどん固まっていき、その環境で生きることになります。進路はすでに決まっていることをあらわしています。

また、誰かと一緒に乗っていて、自分だけが降りた場合は夢主だけが新しい人生を歩むという意味になります。 

引用:大人の無料夢占い 恋愛と人間関係

 未来が決まっているんですか。でも、降りた駅の印象がボクのこれからの人生をあらわしてるってことは、ボクは路頭に迷うっていうことなんでしょうかww 

駅の夢

駅はたくさんの人が行き交う場所。それぞれの人間が別の人生に向かって歩んで行くことを表しており、まさに人生の分岐点を意味する、そう。

  1. 乗り換える
  2. 駅で迷う
  3. 駅にたどり着かない

この中では完全に①ですね。

①乗り換える

自分の人生を路線変更しようとしているあらわれです。または路線変更したい願望があります。すんなり乗り換えることができれば、夢主の意思はすでに固まっているあらわれです。自信をもったほうが運勢は花開くでしょう。

引用:大人の無料夢占い 恋愛と人間関係

これはめちゃくちゃ当たってますね。路線変更願望強すぎてます。このブログ書いてる時点で路線変更しまくってますからね。

ボクはすんなり乗り換えられませんでした。でも、乗り換え方がわからなかったわけでもなく、行き先がわからないわけでもありませんでした。

ただ、もっと楽をしようとしただけなんですね。それで駅員さんに尋ねたわけです。

でも駅員さんは教えてくれなかった。

あとは、自分でがんばりなさいということでしょうか。

 

 

天理教の教会でヤクザが会議?

天理教の教会がキーワードに入る占いサイトはさすがになかったので、「神社」や「教会」などで検索してみましたが、状況によって大きくかわるというのが概ねどのサイトでも共通しています。

  1. 道徳的思考
  2. 神秘的な出会いの予知
  3. 特別な力にすがりたい潜在意識

このあたりが大体共通して掲載されていました。ボクの場合、実家が天理教の教会というところであり、一般の人よりは身近な空間なので、②はないかなと思っています。

③はかなりあると思いますww いつも「なんとかしてくれ」って思ってます。なにかしら。

ただ、問題はその状況です。ヤクザがいたんです。ヤクザについて調べてみました。

ヤクザを反面教師に学ぶ七つの夢占い
  1. ヤクザがあらわれる
  2. 自分がヤクザになる
  3. 友人知人がヤクザになる
  4. ヤクザの被害に遭う
  5. 脅される、追われる
  6. 襲われる、殺される
  7. ヤクザを捕まえる

今回の夢の状況は、電車のくだりから、気がついたら実家の教会の神殿にシーンが移っていました。

神殿を埋め尽くすくらいの人がいて、テーブルの配置的に会議だったのかなとおもうのですが、改めて思い返してみると、葬式のような雰囲気だったかもしれません。どちらにせよ、おめでたい雰囲気ではなかったと思います。とても暗い、というか黒いかんじでした。

私は末席あたりからその場を眺めているんですが、ボクとは反対側の末席に座っていた数人が急に口論となり、一人が懐から拳銃を取り出して、相手に銃口を向けています。

すると彼の周りに座っていた数人も拳銃を取り出し、お互いに銃口を向け合っています。発砲するまでには至りませんでしたが、ボクはとても怖くて何もできずにいました。そこらへんで夢が終わりました。

 

なので、上記の7つの中では①しか該当しませんね。

 

①ヤクザがあらわれる

自分の友人や知人がヤクザになっていた場合、貴方はその相手に対して日頃から何らかの劣等感を持っている事を暗示する夢占いとなります。ヤクザになった友人や知人に対してごく普通に接してた場合、相手に対する劣等感から目を逸らし、出来るだけ考えないようにしている事を暗示する夢占いとなります。

ヤクザになった知人や友人に対して嫌悪感や恐れを感じていたなら、相手に対する自分の劣等感を理解している事を表す夢占いとなります。自分の弱点としっかり向き合い、克服する努力や弱点をカバー出来る能力を伸ばしていく事が出来るでしょう。

引用:スピリチュアブレス 【夢占い】ヤクザが出てくる7つの意味とは

 

ボクの夢に出てきた、ヤクザはボクの友人でもなければ知人でもありません。

ただ、自分の弱点としっかり向き合い、克服する努力が必要なのはいつの時代もどんな時もかわるものではないでしょう。

今回夢に出てきたその人が自分の知り合いではない場合は、自分の潜在意識にある心の弱さのようなものが出てきたのかもしれませんね。

持論としては、天理教の教会が夢に出てくるということは基本的にありがたい夢だと認識しているので、とにかく前向きに進んで行くことが大切でしょうね。

 

今回のボクの夢をまとめると

  • ボクが成長するために、乗り越えるべき試練が訪れる
  • これまでの努力の成果があらわれてくる
  • 無理な人生を歩まず、自分のペースでいけばいい
  • 人生における環境が固まってきている
  • 人生の路線変更願望あり
  • 路線変更は間違っていないから自信をもつこと
  • 焦らず、自分の弱さとしっかり向き合い努力を続けること。

 

ということになりますかね。普段何気なく見ている夢でも、こうして記事におこしてみると、教訓的な内容になってきて面白いですね。自分でも書いていてとても面白かったです。

また、引用させていただいたサイトも、あくまでもボクにとって都合よいことを書いてあるサイトをピックアップしていますので、他にも色々な解釈があります。

大事なことは、どんな事実かということではなく、起こってきたことをどう受け止めるかということなので、自分にとって都合のよいとらえ方をする方法も悪くはないと思います。

何事も前向きに、ポジティブに考えれば人生が今より少し楽しくなるかもしれませんね。

 

さあ、今日も一日陽気ぐらし!

 

 

 

【解決⁉︎】困難な状況を打破するのは、反省ではなく感謝することだった

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この世には二種類の人間しかいません。

コムヨシか、コムヨシでない者か。

どうも、コムヨシです。

前回、妻の実家の家庭像を通して、ギブ&テイクの重要さをお話しましたが、

その中で、「困難をのりこえる」ということについて触れました。

ボクにとって困難だと思っていたことが、妻や妻の家族にとってはさほど困難なことじゃなかったっていう衝撃的な事実を書きました。

今回は、なぜそのようなギャップが生まれるのかということと、アナタやアナタの身近な誰かが困難に遭遇した時の対処法をまとめてみようと思います。レッツゴー

 

 

同じ体験でも、人によって感じ方は様々

走ることが得意な人にとって、マラソンは困難なことではありません。

パソコンが苦手な人にとって、動画や画像の編集は非常に困難です。

児童が自力で外国へ渡るのは困難ですが、大人にとっては子どもほど困難ではありません。

 

このように、人には得意なことや不得意なことがあります。

不得意なこと=困難なこと、というとらえ方もできるかもしれません。

つまり、誰かにとって困難ではあるけれど、他の誰かにとっては困難ではない場合というのは、その問題に対して解決手段を知っている、もしくは、解決する能力を身につけているということになります。

だから、困難ではないのです。

逆にいうと、なぜ困難かというと、その問題に対しての解決手段を知らない、もしくは解決する能力がない(身体的能力、経済的能力)ということになります。

これらの違いが、目の前の事柄に対して、困難と感じるか感じないかの違いになります。

 

 

困難=不得意=解決手段を知らない→解決手段を身につければいい?

困難と感じる要因が、目の前の問題に対する解決手段、対処法を知らないからだということなので、解決手段や、対処法を身につければよいという安易な考えに至ります。

でも、それが出来ないからみんな困っている訳です。

例えば、お金があれば解決する問題も、お金がないから困っているわけです。稼ごうにも世の中そんなに甘くありません。

普通に生活したいと思っていても、身体的な障害を抱えている人もたくさんいます。

職場や学校でのストレスに悩んでいる人に、ストレス解消法を提案しても、多くの場合、それは意味をなしません。

アドバイスをされればされる程、しんどくなるんです。

アドバイスがもっともであればある程、それを実行出来ない自分が情けなくなるんです。

自分はなんてダメな人間なんだろう、愚かな人間なんだろうって、ボクの得意な負のスパイラルに陥るんですね。

つまり、困難な状況に直面している人に対して、正解は必ずあるんだけど、正解の答えが必ずしもその人を救うとは限らないっていうことなんです。

むしろ逆効果って言う方が多い。

正解を知っている人は、どうしても正解を教えたくなっちゃうもんなんです。

それが人間なんですね。仕方がない。

でも、本当に目の前の人にたすかってもらいたい、元気になってもらいたいと思うなら、正解は本当は正解じゃないんですね。

これは本当に難しいけど、正解は正解じゃない。

 

 

悩みに対して答えは要らないらしい

よくある話ですが、悩みを色んな人に相談しまくる人って周りにいると思うんです。

その人って、悩みに対しての正解を教えてほしいんじゃなくて、ただ単に聞いてほしいだけなんですよね。

このことって、特に男性には難しくて。

男って、理論派だから、どうしても答えを導き出したい。その答えを教えたい。というか押し付けたい。結果、相談してきた人に逆ギレされるっていう展開が待ち受けています。

夫婦間でもあるんじゃないでしょうか。

女性は話をしながら自分の思考をまとめているって聞くし、話すことそれ自体がストレス発散になっているんですよね。

わかってるんです。わかってるんですよ。世の男は。

でも、問われたり、相談されたりすると、答えを導き出そうとしちゃうんです勝手に!脳が!

問われる、相談される=頼りにされてる、っていう思考回路にもなってます。余談ですが。

 

ちょっと、話がそれましたが、大事なことは耳を傾けるっていうことなんです。

聞いてあげるだけでいい。

そばにいて、寄り添ってあげるだけでいいんです。

「大変だったねえ」

「よく頑張ったね」

「腹たつよね」

それだけでいいんです。

その人の気持ちを受け入れて、肯定してあげるだけでいいんです。

 

その後、本人が立ち直り、具体的な何かの協力を求めてきた時に、全力で惜しみなく自分のもてる力を提供してあげればいいんです。

 

天理教では

「成ってくるのが天の理」という教えがあります。

自分の身の回りに起こる一切の事柄や現象は、全て神様のご支配によるものだという意味になります。(だいたいそんな感じ)

また

「蒔いたる種はみな生える」とも言われます。

ナスの種を蒔けばナスがなり、キュウリの種を蒔いてナスが成ることは決してありません。

つまり、身に起こる出来事は、良いことも不都合なことも、全て自分で蒔いた種だということです。(だいたいそんな感じ)

その種の芽がいつでるかは神様のご支配によりますが、蒔いた種は必ず生えるという教えです。

 

困難なことというのは、実は自分がどこかで蒔いた種が芽をだしている状態だといえます。だから、よくよく自分の行いを反省しましょう、というのが天理教でよく言われる話です。

 

暗い。

暗いですよね〜。

いい教えなのに、暗い。

天理教の人は反省ばっかりなんです。反省大好き。

もちろん反省は大事。

でも、大切なのは前に進むこと。陽気ぐらしをすること。そのために必要なのは、今の自分のあらゆる状況に感謝することなんです。前進するための原動力は反省5%、感謝95%です。辛いことは嬉しいことではないです。でもありがたいんですね。この感覚がわかると、その困難は、もうアナタにとっては困難ではなくなっています。

 

 

まとめ

困難なことに遭遇したら、人の力を借りたらいいんです。思いっきり甘えたらいいんです。

そしていつか、その恩に対して恩返しを全力ですればいいんです。そう、感謝ですね。感謝を形にすることが大切です。

頼られた人は、正解を教えない!我慢する!

ただ寄り添ってあげる!

 

みんな一人じゃない。

地球上には70億も人がいるんですよ。

しかも、人類みな兄弟姉妹なんていうんですよ。

頼れ頼れ。

頼った分だけ人間関係が増えるんです。絆が強まるんです。

サイコーじゃないですか。

 

さあ、今日も一日陽気ぐらし!

 

おまけ

10-FEETが毎年開催している京都大作戦っていうフェスがあるんですが、その時のMCが超絶良くて、今回の記事を書くきっかけにもなったやつなんで、よかったら下のリンクから覗いてみて下さい。

funnyandgiggle.info

 

 

【人生はギブ&テイク】金もモノも人もいない人はまずこれを読め!

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この世には、2種類の人間しかいません。

コムヨシか、コムヨシでないか。

 

どうも、陽気伝道師コムヨシです。

お盆ということで、妻の実家に行ってきました。

妻はビッグダディもビックリするくらい兄弟姉妹が多いんですが、ご両親もまたビックリするくらいインパクトのあります。

クセが強いですがその分愛されてるって言う感じの本当に素敵なご両親。

そんな親に育てられた子ども達もまた、クセが強くて愛されるキャラをもった人達ばかり。

妻の里帰りという、ごく当たり前の習慣ですが、ボクにとってはそんなやわらかなものではなく、ちょっとした勢いと覚悟が必要です。

でも、本当に出来た人達ばっかりで、なおかつ面白くて、どうしたらこんな素晴らしい人間が育つんだろうかって思うくらい、みんなすごいんです。

今回は、妻の実家の姿にみる家庭像と、天理教が目指す陽気ぐらしの生き方について考えてみようと思います。

 

 

どんな家族なのか

まず、どんな家族なのかということをザックリ説明してみようと思います。

  • 基本的にノリが大阪人
  • 方言のクセが強すぎる
  • 絆の強さがブッチギリ
  • お義父さんはクセが強い元教育長
  • お義母さんは地域の婦人部長
  • 圧倒的なトーク
  • トークは常におもしろいネタでなければいけない
  • 家族に対するいじりがハンパない
  • 全焼の火事を経験している
  • 親心のかけかたがハンパない
  • 親孝行することを喜びにしている
  • とにかく明るい

 

ざっと思いつくだけでも、こんな感じです。これだけだと、あんまり特別感がでてこないですが、とにかくクセが強くて前向きで明るいっていうことは伝わったかなと思います。

 

 

困難を乗り越えた前向きな明るさ

家族の細かい話はプライベートに関わることなのでここでは割愛しますが、妻の兄弟姉妹に会う度に思うのは、本当に明るくて楽しい家族だなってことです。

ボクの家族はちょっと変わっていて、自分の友達とか仲間の間では明るくなるんですが、家族の中では逆に暗い雰囲気になります。ボクの家族が逆に特別だからそう思うのかもしれないんですが、それでも妻の実家はぶっちぎりで明るい雰囲気をもっている家族だと思います。

妻の実家は、妻が幼少の頃火事になっています。

なので、妻の幼少の頃の写真は2、3枚くらいしか残っていません。

絆の強さが、この困難を乗り越えたからなのかはボクにはわかりません。でも、それによって絆が深まったのは事実だろうと思います。

妻の実家は、薪ストーブを使っているんですが、こんなエピソードがあります。

東日本大震災当日、実家に居たのは、妻と、妻のお兄さんと妻のお姉さんの3人。

他の殆どの人がそうであったように、余震の度に恐怖を感じていました。電気もガスも(?)使えません。

そこで活躍するのが、電気もガスも要らない薪ストーブ!

震災当日、兄弟仲良く薪ストーブで焼き肉を楽しんだといいます。

また、薪ストーブでお湯を沸かしてお風呂にはいったなど、とにかく、不自由という状況が(不謹慎ですが)面白かったと妻は振り返ります。

「困難を乗り越える」とよく言いますが、この家族はそういう概念で生きていないということにとても驚きました。

楽しもうと頑張っている訳でもなく、その状況が面白いから、楽しんだというシンプルなものです。

こういう感覚が身に付くと、人ってもっと色んなことに挑戦できるようになるのかもしれません。

困難を困難と感じない感覚というのは、正に陽気ぐらし実践になくてはならない感覚かもしれません。

 

 

恩は返せる時に全力で返せばいい!

ボクが大切にしている天理教は、陽気ぐらしという生き方を推進しているんですが、これまでボクは、教えによってのみ陽気ぐらしの生き方が実践できると思ってきました。

だから、天理教の教えを知らなければ、陽気ぐらしはほぼ出来ない。だからその生き方を伝え広めなければならない。そのために布教活動をする。

こういった考え方が基本にあったので、ボクの中ではいつしか、

天理教を知らない人=陽気ぐらしを実践出来ない人=幸せになれない人

という勝手な思考回路になってしまっていました。

でも、妻の家族はまったく違いました。

妻の両親はとても熱心な天理教信者なので、教えを実践されているのはもちろんなんですが、なんというか、今まで会った天理教の人とは全く違う価値観をもっていました。

例えば

人からの好意は甘んじて受ければいい。ただ、恩は絶対忘れてはいけない。今すぐ恩返しが出来なくても、返せる時は生きていれば必ず来るから、その時は誠心誠意返しなさい。

と、教えてもらいました。

(現時点で)恩返しが出来ない状況であれば、もらうな、やっかいになるな、という感じで育てられたボクにとって、この感覚はとても大きなことでした。

未来は真っ暗でいい - com-yoshiのブログでも書いたように、妻や妻の兄弟姉妹が、親にお金をあげることを楽しみにしているという感覚は、ボクにとってある種のカルチャーショック的な出来事でしたが、お義父さんからの教えを聞いて得心しました。

与えられることによって、そこに依存のような関係性ができてしまうんですが、人っていうのは一人では絶対生きていけないので、与えられるということは決して悪いことではないんですよね。

大事なことは、そのことに対してきちんと感謝の心をもてること、そして頂いたことを決して忘れないこと、いつか必ず恩返しをするということが大切なんですね。

それってつまり、人間関係を築くっていうことなんです。

頂くことを、申し訳ないからと断ることもできますが、そこで一つの関係が終わります。

関係が終わるということは、こちら側から与えるという行為も消えてしまうっていうことなんですね。

人生の豊かさは、どれだけ多くを得られたかよりも、どれだけ多くの人に与えられたかだと思うので、この関係性を保つことは人生の豊かさにも直結するんですね。

そして与える人には、それ以上に与わってくるんですね自然と。

事実、妻の両親には金もモノもどんどん集まってきます。しかもその殆どが一級品ばかり。ほんとに凄いです。

 

 

与え続ける人は、失うことが怖くない

っていうことかなと思います。

なぜ失うことが怖くないかというと、どうにかなると言うことを経験としてしっているからです。

失ったとしても、また与わるということをしっているからです。

だから、どんな状況だろうと人に与え、与えることを喜び、人の喜ぶことを自らの喜びとすることができるんです。

天理教の教えに

「人をたすけたら わが身たすかる」

という教えがありますが、世の中はまさにこういう理屈なんですね。

この感覚を人生のいたるところで実践できるようなると、間違いなく今より数段豊かな人生をおくることができるようになります。これは絶対です。

何故って、それがこの世の法則だからです。

 

さあ、今日も一日陽気ぐらし!

【感動ってナニ!?】人は何に心を動かされるのか?

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どうも、陽気伝道師コムヨシです。

だいぶ前の話になるんですが、母の日になんか変わったことをしたいなと思って、スマホで色々検索してたんです。

ある動画に心を奪われてしまったんです、っていうお話をしようと思います!

 

子を思う親心の驚異的な破壊力

www.youtube.com

最初にボクが見つけたのはこの動画でした。

「世界一過酷な労働」ということをテーマにした、すべての母親への経緯を表した素晴らしい動画ですよね。

最後の「お母さんです」という下りは、毎回ウルッときちゃいます。

 

www.youtube.com

そしてこれ!

親と子に同じ質問をして、その回答シーンを子どもにだけ見せるっていうやつなんですが、ほぼ100%の確率で子どもがウルッと来ちゃってるんですね。

おもしろいのは、同じ様なエピソードでも、子どもは曖昧にしか覚えていないことでも親はハッキリ覚えていること。

受けた恩より、与えた喜びはいつまでも残るんだなって感じました。

トヨタのウェルキャブシリーズ?のコマーシャルなんですが、車と何が関係あんだよ!って最初は思っちゃうんですが、よく出来た誘導だと思います。

 

www.youtube.com

ミスチルってとこがまた良いんですよね。ミスチル大好きなんで。

ボクの知り合いは、出勤前にたまたまこの動画を見て、自分でも引く程号泣したらしいです。ボクはそこまで泣かなかったけど、とてもいい話しだと思った。

そして何よりも、ドコモと何が関係あんだよ!っていうドラマ仕立てなのが更によい。

いつか、あたりまえになることを

っていうテーマが最高。

ボクもこういうことをテーマに色々発信していきたいなって思いました。

 

 

人の心を動かすのは、人の心。その心に共感すればする程感動する。

ボクがこれらの動画に共通して感じたことは、

人を思う心って、すげーなってこと。

好きな人のこと、大切なひとのこと、遠くにいるあのひとのこと、もうこの世にはいないあの人のこと、、、

誰かを思う心ってすげーなって思います。

心って、誰かを思うためにできてるのかもしれない、とすら感じる。

いや、そうだと信じたい。

 

親が子を思う心っていうのは最たるもので、思う心がなかったら、

ひどい夜泣きとか、わがままとか、反抗期だったり、ご飯食べさせたり、好きなもの買ってあげたり、

そういうことに耐えられないんじゃないかな。

色んな事件があるけど、その人達に「心」がない訳じゃなくて、

心の出し方が分からないだけなんだと思うんですよ。

だから、もしそういう人に出会ったら、まずはその人を愛してあげたいし、愛される喜びを感じてもらいたい。

そっから初めて人を思う心が生まれてくるんだと思うんですよね。

 

 

愛されるよりも、愛したいマジで

これがキーワードですね。KinKi Kidsが歌ってるように。

何かを得たいなら、まずは自分から他者へ貢献する必要があります。

何故って、それがこの世の法則だからです。

その逆だと絶対上手く行かないんです。

何故って、それがこの世の法則だからです。

 

さあ!今日も一日陽気ぐらし!

【コロンビアの日々】人見知りが異国で友達を作る方法④

 

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どうも、陽気伝道師コムヨシです。

なかなか前進しないコロンビア編ですが、少しずつ進めて行こうと思います。

 

紹介する文化

前回は、ジョナタンという友達ができたというお話をしました。

売店のおばちゃんテレサおばちゃんも、かなり友達を紹介してくれましたが、あくまで売店での顔のつなぎだったから、その出会いから何かが始まるということはほとんどなかったんです。

でも、ジョナタンはとても世話好きなヤツだったので、自分の友達を余すことなく紹介してくれました。

 

ボクがこれまで経験した国ではもれなくそうでしたが、どこの国でも、とにかく人を紹介してくれます。

日本だったら「なんでこの人を紹介したの?」っていうレベルの

親戚の友達だったり、友達の親戚だったり、親戚の親戚だったり、

本人が知りうる全ての人間を紹介しようとします。

人見知りの人には分かると思いますが、自分にとって興味のない人を紹介されること程しんどいことはありません。

今になれば、もっとちゃんとつき合ってればよかったなって思うんだけど、当時はやっぱりしんどかったし苦痛だったんですよ。

でも、やっぱり彼らからしたらチョーレアな日本人と知り合った訳だから、自慢もしたいだろうし、紹介もしたいだろうなっていう気持ちもわかるんですよね。なんせボク有名人ですから。

 

そんなこんなで、ボクが大学に行く度にジョナタンが新しい友達を連れてきてくれたので、どんどん友達が増えて行きました。でも、基本的に街へ遊びに行ったり食事に行ったりする友達はジョナタンくらいなもんで、新しくできた友達とはテレサおばちゃんの売店で会った時に軽く話をする程度でした。

もっと深い付き合いをしようと思えばできたんでしょうが、当時の人見知りレベル2000だったボクとしてはそれくらいが限度でしたね。

 

 

日本語教室に行きませんか?

ジョナタンが紹介しれくれた友達の中に、シルバーナという女の子がいました。

彼女は小さい頃から英語を学んでいて、感覚がわりとインターナショナルなものをもっていました。だからかどうかわかりませんが、外国人であるボクにとても興味をもってくれました。

ボクが住んでいた教会では、日本語教室を開いていて、そのころ丁度新しい年度が始まる時期だったこともあり、生徒の募集が行われていました。

ボクとしてもなんとか教会の力になりたいと思っていたので、思い切ってジョナタンとシルバーナを日本語教室に誘ってみたんです。

ジョナタンは忙しいとかなんとか理由をつけてすぐ断られましたが、シルバーナはしばらく悩んでくれていました。

日本語を学びたい気持ちはあるけど、教室までの送り迎えが難しいというのが原因でした。

前にも書きましたが、ボクが住んでた教会がある地域は、どちらかと言うと裕福な家庭の方々が多く住んでいる地域でした。

そう聞くと、「治安がいいんだな」って思うかもしれませんが、教会周辺はマフィアが多い地域で、考えようによっては危険な地域です。

更に日本語教室自体が夜8時頃終わるんですが、夜は基本的に危険です。

それを心配した親がなかなかオッケーしてくれなかったんです。

 

正直、ダメだろうなって思ってたんですが、結果的に通ってくれることになります。

送迎の問題は、彼女のお父さんが仕事帰りに迎えにくるという形で治まりました。

 

これを機に、シルバーナ家族との付き合いが始まることになり、今でもたまにFacebookなどで近況をシェアしています。

 

このブログの回を重ねるごとに、友達を作る方法が全く書かれていないことに気づくんですが、このままのタイトルで続けますが、がんばってついてきて下さいね!

 

 

 

 

 

【こどもおぢばがえり】みんなが輝いている理由はこれだ!陽気ぐらしに必要なのはインプットではなくアウトプットだった。

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天理教の教えって素晴らしい!

天理教の教えは普遍的でいつの時代にもマッチしている!

知らなきゃ損だ!

知らない人に教えてあげよう!

そうだ、布教にいこう!

 

こんな思いで、布教にでようと思った方は少なくないと思います。

でも、

布教って大変そう

布教って恥ずかしい

布教って勇気がいる

布教って……ボクには出来ないな。。

 

なんてことになってしまった方も少なくないと思います。

 

今は感覚が麻痺してしまって、あまり恥ずかしいとか感じなくなったけど、いざ始めるとなると毎回勇気が必要なのは今も変わりません。

「よし!行くぞ!」

っていう気持ちにもっていくのが毎回大変です。

 

先日、こどもおぢばがえりに行ってきたんですが、改めて気づいたことがありました。

それは、こどもおぢばがえりに参加する人も受け入れをする人も、みんながMAXで輝いてるってこと。まさに、陽気ぐらししてんなーって感じたんです。

でも、その輝いてる人達のほとんどが普段は天理教の組織に対して不満をもっていたり、陽気ぐらしできずに悩んでいたり、布教に歩けない自分を蔑んでいたり、全然輝いていない。

なんでみんなこの時は輝いてんだろーなって考えたら、やっぱりアソコにたどりついたっていう話を今回してみたいと思います。

 

 

出口のない道を行ったり来たりしてませんか?

ボクが今回こどもおぢばがえりに参加して感じたこと。

それは、こどもおぢばがえりの全てが陽気ぐらしの実践の場だっていうことでした。

こうやって聞くと

「当たりまえだへな」

ってなると思うんですけど。本当に当たり前なんです。

でも、当たり前じゃないくらい今、天理教が陽気ぐらし出来なくなってきてるって感じてたんです。

なので、今回発見したことはボクにとってとても大きな喜びでした。

 

ボクは、10年以上前に布教師に憧れて色んな本を読んだり、講演会があると聞けば知らない先生のお話であっても時間を作って聞きに行って、自分のものにしようと必死になって吸収しようとしてました。色んな先生の壮絶な布教体験は読んでも、聞いても感動の嵐でした。

とにかくむさぼるように本や話を求めていたんですが、ある時を境に、まったく感動しなくなっちゃったんです。

その時は「体験談が弱いから感動しないんだな」って思ってたんですけど、以前のボクなら間違いなく泣いていたのに、泣くどころか感動すらしない。

それがなぜだったのか最近になって分かったんです。

なぜだったかというと、

アウトプットされない情報(体験談)が消化されず、単なる知識としてだけ蓄積され、頭でっかちになってしまっていた

っていうことだったんです。

そもそも、本を読んだり講話を聞いたりすることっていうのは、感動するためにインプットしているんじゃなくて、自分が実践するための予備知識であったり、共感する部分をマネするためにインプットしているんです。

実践するための予備知識や共感する部分をマネするっていうのは、つまりはアウトプットするっていうことなんです。実践が大前提だってことなんです。

他人の体験談として自分にインプットされた情報を、自分が実践してアウトプットすることによって、他人の体験談だった情報が、自分の体験として再インプットされます。

人にとって一番大切なのは、この再インプットだと思って間違いないでしょう。

この再インプットをするためには、アウトプットをすることが絶対です。

つまり、アウトプットをしない人は一生再インプットができないということになります。これは出口のない一本道をひたすら行ったり来たりしているようなもので、これほど退屈でつまらないことはありません。

 

 

アウトプットしたいのに、どうしたらいいのかわからない現状

では、天理教においてのアウトプットとは一体どんなことが挙げられるでしょうか。

真っ先に浮かぶのが布教活動でしょう。

教えを伝える=布教活動となる方が大半ではないでしょうか。もちろんこの方法は大切ですし、私にとっても大事な形の一つです。

でも、これを実践できる人は極めて限られています。

冒頭でも記した通り、布教するには勇気や恥ずかしさを克服する強い精神力が求められます。

つまり、不得意な人が圧倒的に多いんですよね。

みんな天理教がイヤな訳じゃなくて、天理教としての生き方のゴールが布教師的な雰囲気がイヤなんですよね。

布教師っていう生き方が、しんどいというか重い。

布教師として生きるのはイヤ。でも他にやり方がわからない。

これが天理教の現状ではないでしょうか。

それなのに

「苦手とか、不得意とか、そんなこと言ってるからダメなんだ」

「つべこべ言わずにだまって実践しろ」

この言い分も一理あります。っていうかボクもちょっと前まではこんなこと言ってましたww

この悪循環が、更にやる気を喪失させ、その組織に魅力が生まれないから若い人達も参加しようと思わない。

布教師以外の方法でアウトプットするには、一体どうしたらいいのでしょうか。

 

 

困ってる人を助けました。その後は?

いえ、決して人だすけなんて大それたことはしたことないんですが、最近思うことがあるんです。

天理教は人だすけが仕事だとも言われます。

たとえば、不治の病で苦しんでる人を奇跡的に回復させたり、精神的な病で苦しんでた人が天理教の話を聞いただけでスッキリ回復したりとか。そういった医者や薬では助からないと言われた人達を助けることが人だすけの仕事の一つです。

ボクは人だすけなんて全くできていないので、こんなこと言う資格は全くないんですが、自分を棚上げする頑丈な棚を作ったので思い切っていいますが、

いわゆる困っている人達が、仮に奇跡的に助かったとします。

もちろん本人もその家族も、たすけたその人も大喜びでしょう。でもその後はどうなるのでしょうか。

代表的なことは、やはり布教師でした。

もしくは教会に住み込んで、会長さんの手足となって働く。

つまり、今までの仕事を捨てて生きることを求められたんですね。

そういう人達が別の人を助けて、新しい教会をたてる。

こうして天理教は栄えてきました。

でもそれはたすけられた人のごく一部だと思うんです。

多くの人は、布教師という生き方や窮屈な教会生活に嫌気がさして逃げ出していると思うんです。

「いんねんに負けた姿」だとか「勝手気ままな心づかい」だとか、後ろ指を指されているその人達は、そんなに悪いのでしょうか。

ボクが最近感じるのは、その人達が悪かったのではなく、その人達に合った天理教人としての生き方、アウトプットの仕方を教えてあげられなかったことが原因なんじゃないのかなって思うんです。

 

ハイ。。。強めに作った棚が壊れそうなので、この辺でやめときます。。

 

 

 

こんだけ素晴らしい情報が溢れた世の中なんだから、もっといろんな選択肢があったっていいじゃないか。

ぼくがブログを書くきっかけを作ってくれた

布教についてどうこう言う前に大切なのはコレなんです | あれもこれも

にも書かれていますが、やっぱりそういうことなんですよ。

 

自分の目の前にいるひとが、たとえ本人が困っていなかったとしても、

「もっとこうすれば、もっとハッピーになれるのに」

って思うことってあると思うんです。

もしかしたら、それを伝えることはその人にとって余計なお世話かもしれません。

だからこそ、形が大切だと思うんです。

 

この人に、◯◯な未来を生きてもらいたい。そのために必要なのは◯◯だ。それを実現するために自分は◯◯な手伝いができる。

っていうことを示してあげること。

 これも立派な人だすけなんですよね。

病人をたすけてあげるのも立派なことですが、天理教の目的は病気を治してあげることではなく、その人が陽気ぐらしできるようになってもらうことなんですよね。

だから、病気を治してあげることはその前段階。大事なのはその後だと思います。

でも、多くの人が、病気の人をたすけることが天理教の目的だと思っていて、しかもそれがあまりにも難しいテーマだから

「自分にはできない」

ってなってしまう。

それだけの先入観で、結局何もできないまま「自分はなんて情けないんだ」と蔑んでしまう。なんてもったいないんでしょう。

大事なことは、自分は他人に対して何を提供できるのか。どんな価値をもっているのかということです。

そして、その価値を提供するにあたって、大事なことが心だということですね。

 

 

ボクが輝けること。アナタが輝けること。これをアウトプットしよう。

だらだらと長くなってしまいましたが

こどもおぢばがえりで感じたことは、みんな好きなことなら輝けるってことです。なぜ輝けるかっていうと、自信をもってるからなんです。

これをやると、子ども達が喜んでくれるっていう自信がある。

これに参加させると、子ども達が喜んでくれて、素晴らしい影響を与える自信がある。

自信がある人の目は、必ず輝いています。

その輝きをみて育った子ども達は、必ずそこに憧れや魅力を感じます。

 

でも、こどもおぢばがえりが終わると、みんな死んだ目をしてるんです。普段の天理教に自信がもてないから輝けないんです。

 

だったら、自分が自信を持てることをやりましょうよ。

自信をもってれば、かならずアナタは輝いていて、そこに魅力が生まれ憧れが生まれます。魅力や憧れに人は寄ってきます。

教えを伝えようとする必要なんてなかったんですね。

ボクが輝けること。アナタが輝けること。

たったこれだけで、世界は確実に陽気ぐらしに一歩近づく。

 

さあ、今日も一日陽気ぐらし!

 

 

 

【布教で悩むアナタは必見!!】布教への一歩が出ない理由は自分の生き方にあった。

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どうも、陽気伝道師コムヨシです。

ブログを始めておよそ一ヶ月になりますが、自分がブログを書くことになるなんて誰が予想したでしょうか。

ブログって日記みたいなもんだと思ってたし、そんなものを世間に公表してなんになるんだろうとか思ってました。

そんなボクの考えが大きく変わるキッカケになったブログがあります。

それがこちら ↓↓

布教についてどうこう言う前に大切なのはコレなんです | あれもこれも

この記事は、ブログに関してどうのこうの書いている記事ではありません。

タイトル通り、布教以前に大切なモノを教えてくれています。

 

彼のブログに出会ったのがいつだったのかは忘れましたが、これを読んでからボクの中で何かがはじけたのは覚えています。赤い実ではありませんよ

 

今回は、このブログを読んでから変わったボクの天理教に対する考え方や、人生に対する考え方がどのように変わってきたのかを書いてみようと思います。

 

 

世界一の仕事=天理教の布教師

ボクは天理教の教会で生まれ育ちましたが、だからと言って一生懸命天理教をやっていこうと思って育ったわけではなく、排除できない生活の一部だっただけです。

まあ、いつかは親の後を継いで教会長とかやんなきゃいけないんだろうな〜。

とか漠然と思ってただけです。

やりたいわけではなかったけど、やりたくないわけでもなかった。

面白いわけじゃなかたけど、楽しくないわけではなかった。みたいな。

 

そんなボクに転機が訪れたのは、高校卒業後に進学した専門学校時代。

海外で活躍する天理教の布教師を育てるための学校になんとなく入ったボク。

そこで数々の衝撃に遭遇します。もちろん良い意味での。

 

何枚あるんだよ!

っていうくらい、目からはがれ落ちるウロコ。

ボクの人生観はこのとき大きく大きく変化しました。

 

数ある衝撃の一つが

天理教って面白い!

天理教って素晴らしい!

やらなきゃ損だ!

みんなに教えたい!伝えたい!

っていう気持ちになったことでした。

 

今も続く私の天理教LOVEの気持ちはこの時に形成され、今なお微塵も揺らぐことはありません。

 

色々な本を読んでいくなかに、

天理教の布教だけを仕事とし、飲まず食わずでも心は常に陽気に晴れ渡り、教えが伝わろうが相手にされなかろうが関係ない。とにかく歩いて歩いて歩きまくる。そんな姿を神様は喜んで下さる。

という布教師という生き方があることを学びました。

そして自分の先祖も布教師として生き、教会を設立し、多くの信者を導いた。その歴史の末にボクがいる。

俺がやらずに誰がやる!

それくらい、布教師に憧れ、教会に生まれたことを誇りにさえ思える様になっていました。

布教師こそ世界でもっとも崇高な仕事だと思う様になったのもこのころです。

 

 

イメージとかけ離れていた!布教師として生きることの辛さ

23歳の時、後継者不在の教会へ赴任することになりました。

そうです。教会長になったんです。

燃えに燃えまくっていたボクは、布教師になれることが嬉しかったので、教会長以外に働くことは全く視野に入れていませんでした。

食えなきゃ食えないでいい。

それが布教師ってもんだろうよ。くらいに。

かなりツッパってましたね。

 

でも実際のボクはというと、

朝は起きれない、布教の経験はない、新天地での知り合いも皆無。

という状況。

朝が苦手なので、朝勤めもやったりやんなかったり。

そんな自分が情けなくなり、こんな自分が布教に歩いたって誰も相手にしてくれるはずがないと、自分を責め続け、勇めない心は更に朝を辛くさせ、得意の負のスパイラルに突入します。

食えないことが辛いんじゃない。

金がないのが辛いんじゃない。

その状況を喜べない、楽しめない、面白がれない、前を向けない自分がいることが辛くて、その自分となかなか向き合おうとしない、自分自身を許せずにいました。

 

 

布教師は好きなことを我慢しなきゃいけない 

布教師として活躍する先生ほど、好きなことは我慢して、その分布教を好きになりなさいという。

その考えに共感する部分もある。それくらいでなければ、不治といわれた難病の方を救うことはできないだろう。

そんな布教活動をしてみたいと思うけど、そうじゃないこともやってみたい。楽しいこともやってみたい。

そんな時にたまたまやったのが自主企画のバス団参でした。詳しくはこちら↓↓

 

com-yoshi.hatenablog.com

これを機に負のスパイラルからようやく抜け出すことに成功します。

でも、何かが足りない。

 

 

せっかく自分に与えられた人生なんだから、自分のやりたいことをやろう

負のスパイラルから抜け出せたものの、自分が理想とする布教師に近づけていないことに憤りを感じていました。

あとはやるだけなのに、やれない。というか、やり切れない。

飽きっぽい性格だから?

続けることが苦手だから?

 

なぜ続けられないのか。

人の役に立ちたい、困っている人をたすけたい、という心が薄いからだと

また自分を責めます。

俺なんて、俺なんて

また負のスパイラル。

ミスター・負のスパイラルです。よろしく。

 

そんな時に出会ったんですね〜

この記事 ↓↓

布教についてどうこう言う前に大切なのはコレなんです | あれもこれも

ブログ名が「あれもこれも」なので。 | あれもこれも

 

ビックリしました。

何がビックリって、高校時代後輩で、寮では同じ階に2年間住み、数ヶ月間ですが同部屋になったこともある特別なヤツだったんです。

そいつが、ものすごい勢いでボクの背中を押してくれた。

でも、事実関係からいくと、ボクが彼のブログを読んだだけなんです。

読んで、勝手に突き動かされただけなんですよね。

だからこそ、ブログってすごいなと思ったんです。

 

ボクが抱いていたモヤモヤしていたものの正体がやっとわかったんです。

それが何かというと、

ボクはやりたいことを我慢して、結局自分が一番面白くない人生を歩んでいた。

っていうことだったんです。

好きなこととかやりたいことを我慢して人様の役にたつ生き方を理想に歩いてきて、今でもそれは素晴らしい価値観だと思ってます。

でも、自分にはそれが合っていないということがわかったんですね。

ボクは本当にワガママな男だから、自分が楽しくなきゃ続けられない。

でも、天理教にそんな価値観なんて存在しないと思ってたんです。

それを救ってくれたのが、彼のブログだったんです。

 

ボクの価値観は大きく大きく変わりました。

 

好きなこと、やりたいことをやって誰かの役にたちたい!!

 

こんな風に思える様になってから、

悩むことが減りました。

妻からも、本当に変わったねって最近言われます。

以前は、既成の天理教の概念にがんじがらめにされていた旦那と歩むことを、少なからず窮屈に感じていたみたいなんです。

既成概念が悪かったんじゃなくて、それに固執するあまり、ボク自身が身動きがとれなくなって、イライラして家族に八つ当たりしたり、上手くいかないことを環境のせいにしてみたり、家庭の中でもミスター・負のスパイラルだったんですね。レジェンド級の。

 

それが、自分らしく生きることを選択してからは、まだ何にも達成してないし、成果も上がっていないけど、毎日が楽しくなってきました。

いまだに朝は苦手だけど、そんな自分すらも愛せる様になってきました。

 

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やりたいことやって、生活できるんだったら誰も苦労しねーよ

 

って、ボクも当初は半信半疑でした。

でも、彼のブログと出会ってからというもの、自分の好きなことや得意なことで誰かの役に立っている人とたくさん出会わせてもらっています。しかもそのほとんどの方が、食っていけてる、だけじゃなく、普通のサラリーマンよりよっぽど稼いでいる。

だからってわけじゃないけど、好きなことやって、それによって喜ぶ人、助かる人、救われる人がいて、さらに収入も得られるって素晴らしいというか、本来あるべきビジネスの価値観と言うか、仕事のあり方と言うか。そんなことも考えさせられました。

実際、彼のブログによって

ボクがたすけられちゃったんですから。まちがいないと思います。

こういった素晴らしい考え方をどんどん共有して、発信していくことが彼への恩返しだと思っています。まだまだ頼りっぱなしなんですがw

 

これから、自分の好きなことややりたいことを更に磨き上げて、誰かの役にたてる自分になっていきたいと思います。