com-yoshiのブログ

自らの世界の可能性を切り拓くための心の使い方をお伝えします。

リンダリンダなドブネズミってナニ?

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こんにちは、陽気伝道師コムヨシです。

このあいだ車内でブルーハーツを聞いてたんですが、その時妻に、

ブルーハーツリンダリンダリンダってどういう意味だと思う?」

って聞いてみたんです。

そしたら、こんな答えが返ってきました。

山本リンダ?」

質問をしたボクが悪かったことは明白ですので、妻を責めないであげて下さい。ブルーハーツファンのみなさん、その怒りの拳は政治にぶつけて下さい。

 

 

リンダってなんだ?

 

 

ボクがブルーハーツをちゃんと聞き出したのは高校の頃でした。

リンダリンダ〜」って叫んでる唄があったのは知ってましたが、たくさん素晴らしい曲があることを知ったのはその頃です。

中学校の頃、チャリンコの後輪に、二ケツするために付けるボルトっていうんですか?関西方面では「ステップ」って言ってましたが、うちの地元では

リンダリンダ

って言ってました。

標準語ではなんて言うんでしょうか。

 

 

美しくなりたい

 

 

 

以前も書いたように、ボクはスペイン語を勉強していました。

そこで衝撃的な単語に出会ったんですね。

それは

LINDA

そうです。リンダです。

スペイン語でLINDAというのは「美しい」とか「きれい」という意味になります。

ボクの勝手な推測の域をでませんが、ブルーハーツのリンダとは、チャリンコにつけるステップのリンダのことではなく、スペイン語の美しいという意味になると思っています。

これを踏まえて、改めて歌詞に注目してみると

ドブネズミみたいに美しくなりたい

写真には写らない美しさがあるから

冒頭からいきなり「美しさ」っていう言葉が出てきますね。

あくまで、ボクの勝手な推測ですが、リンダは美しいでまず間違いないでしょう。

でも、歌詞全体を眺めてみると、

 

「愛の意味を知って下さい」とか

 

「決して負けない強い力を僕は一つだけもつ」とかあるように、

 

単に、外見的な美しさではなく、精神的な力強さと言うか、誰かに優しくすることだったり、愛を与えることであったり、そういった内的な美しさのことを歌っているのかもしれませんね。

 

山本リンダさんのリンダも恐らくスペイン語のLINDAになると思います。

ということは、妻が唱えた説もあながち間違いではないのかもしれませんね。

 

ドブネズミがどういった比喩になっているのか、今のボクにはまだ理解出来ませんが、外見的な美しさではなく、人間本来がもっている内面の美しさというものを大切にしたい、アナタにも大切にしてもらいたい、という唄なのかなと感じます。

 

ボクもこんなかっこいい男になりたいなと、この記事を書きながら改めて思いました。誰かの役に立てる男、誰かに喜びを与えられる男。

喜びはいつか必ず自分のもとに帰って来てくれるので、ボクの幸せにも繋がる。

このリンダリンダの法則が世界を陽気に替えていくのかもしれませんね。

 

【コロンビアの日々】人見知りが異国で友達を作る方法②

 

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こんにちは、人見知り陽気伝道師コムヨシです。

人見知りが異国でどのようにして友達を作ったのかを↓

 

com-yoshi.hatenablog.com

 

で、書いてみたんですが、ありがたくも「続きが気になるから更新して」という声を頂きました(約1名)。正直なところ更新はまだするつもりはなかったんですが、ご要望にお応えして

【コロンビアの日々】人見知りが異国で友達を作る方法② 

を書いてみようと思います。

 

 

バージェ大学の社交場

 

 

前回の記事で、ドーニャ・テレサというアミーゴに出会い、コロンビア生活が激変したっていうことを伝えたと思います。

まさに、激変したんです。

大学の構内にはいくつかの売店があります。日本の駅にあるような売店ではなく、木陰に小さなテーブルを置いて、ちょっとしたお菓子や飲み物なんかを販売しているところで、この辺でいうところのチンチンアイス的な規模をイメージしてもらえれば、全く違うんですがw、イメージとしてはしやすいのかなと思います。おそらく日本にはないスタイルじゃないかと思うんで。

彼女のいる売店が決して魅力的だったわけではなく、他には置いていない特別なものを販売していたわけでもない。

なぜその売店に立ち寄ったのか、それは

たまたま。

まさにこれです。

でも、体育館自体があまり人通りがない場所にあって、なおかつ涼しげな雰囲気だったから、実は魅力的だったのかもしれませんね。

そこへ、なんとな〜く立ち寄ってみたんです。

いや、ちがう。

今書きながら思い出したんだけど、その売店の前をチャリンコでプラプラしてたら、なんか聞こえてきたんです。

「チーノ」

「ノー、ハポネス」

こんな声がうっすら聞こえてくる。

振り返ると、何やら売店から聞こえてくる。

売店をよく見ると、男子が2、3人たむろして、ニヤニヤしながらこっちを見てる。

こういう状況ってよくあるんです。

外国人が珍しいから、チャチャをいれる感じ。

普段ならあまり相手にしなかったんですが、「ハポネス」という単語が聞こえ、なんとなく嬉しかったのか、近づいてみることにしたんですね。

 

時間がきたので、今回はこれまで!

小出しにいくぜ〜 気になるだろ〜 ハポネスが何か気になるだろ〜

【育児パパの苦悩】頑張っているのに妻の機嫌が良くならない理由はナニ?

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こんにちは、陽気伝道師コムヨシです。

 

ボクには愛する妻と、現在4歳、2歳、0歳のとっても可愛い子ども達がおります。まさに子育て真っ最中のコムヨシです。

 

上の2人はお陰さまで去年から保育園に通っているので、平日の日中はなんとか平穏の日々を送っておりますが、今年の4月に3人目が誕生したので、妻はまったく休む暇がありません。

ひと昔前に比べれば家事や育児に積極的なパパが増えたとは言え、家庭環境や仕事の都合なんかで、気持ちはあっても中々妻に協力出来ない、もしくは手伝い方がわからないっていうパパが多いんじゃないかなって(勝手な推測ですが)思っています。

 

今回は、妻のためを思って積極的に家事や育児を頑張っているのに、ママの機嫌が良くならない、むしろ険悪なムードになってしまう理由に迫ってみたいと思います。

あくまで理由を探るだけなので、解決策は提示しませんのであしからず。

 

 

洗濯物の干し方がちがう!!って怒られる。

 

 

これ結構多いんじゃないですかね。ボクも結婚当初は言われ続けました。

乾けばなんでも良いじゃんって思ってたので、まさか干し方でクレームをつけられるなんてウ◎コ程も思ってませんでした。なので少しへこみましたよね。

ちなみにボクの妻のお姉さん達も実家に集まると必ずと言っていい程、旦那のグチり大作戦が始まりますが、洗濯物の干し方の話題はかなり高い割合でランクインしてきます。

 

 

抱っこしてよ!!って怒られる。

 

 

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いわゆる赤ちゃんって呼ばれてる頃って、とにかく泣きますよね。言葉とか感情の意思表示が「泣く」ことでしか表現できないので、この時期はママだけじゃなく、パパや兄弟たちにとってもかなりのストレスになるんですよね。

仕事で疲れたなんて言い訳したくないから、ママのためにも赤ちゃんを抱っこしてあげたい。でも泣き止まない。なんでだろう。って悪戦苦闘してると、

 

「なに泣かせてんの?」って怒られたり

「抱きかたがわるい」ってぶった切られたり

 

頑張ってんのに怒られちゃうんですよね。

泣き止ませられなかったのは、たしかに申し訳ない。でも、まずは抱っこしてくれたっていうところを単純に褒めてもらいたいですよね。

ママからしたらそんなの当たり前じゃんってことでも、パパにはまったく当たり前じゃないんです。

 

 

いちいち怒んなくてもいい!!って怒られる。

 

 

ハイハイができるようになったり、つかまり立ちができるようになったりと、子どもの成長を見守るのは親として何よりの喜びです。

でもそれと同時に発生してくるのが「イタズラ」です。

このイタズラに対して、親として我が子へのしつけのつもりで怒ります。

 

「そんなことで怒んなくていい!」

 

よかれと思って、子どものためと思ってしたことなのに、ママに怒られます。

怒らなくていいの? 叱らなくていいの?

ってなりますよね。

それなのに、自分はしょっちゅう叱っている。

この違いってなんなんだよ!

ってなりますよね。

 

 

夫を敵とみなす愛情ホルモン

 

 

全てのすれ違いの原因は、育った環境の違いにあります。

全く別の家庭で育ったんだから、価値観が違って当たり前。むしろ自分にはない価値観をもってたから相手に惹かれたはずなんです。

 

しかも女性は、出産を機に我が子をより愛するための特別なホルモンが大量に分泌されます。出産後に妻が「お母さん」になるのは単に立場だけでなく、体そのものがお母さんに劇的に変わっているらしいんです。

 

この特別なホルモンは「愛情ホルモン」ともよばれるもので、我が子を愛するだけでなく、「守る」という意識も強くなるといいます。

 

つまり、我が子以外の、それが例え夫であったとしても、我が子に対して敵とみなされると、攻撃の対象となります。

子どもを産んだとたんに冷たくなったなと感じるのはこのせいかと思われます。

 

 

ママの機嫌よくいてくれるためにパパができること

 

 

前述した通り、価値観が全くちがうわけだから色々な局面で判断基準がちがう訳ですよね。

洗濯物の干し方、抱っこの仕方やタイミング、叱るポイント

全部ちがうわけです。

家庭内の平和を維持したければ、この価値観を妻のものに合わせるのが手っ取り早いです。

 

お湯を沸かすには

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ふつうは、やかんを火にかけますよね。

その場合、火と水の関係性は絶対で、この関係をくつがえしてはお湯を沸かすことは出来ません。

つまり

火が下で、やかん(水)が上になります。

 

お湯を沸かすということを、家庭を平和にするということに置き換えてみましょう。

お湯を沸かす条件は、

  1. 火と水があること
  2. 火が下で、水が上の関係にあること

になります。

お湯を沸かすということは、水の形態を変化させることです。

つまり、水である夫が変化することが自然な流れになるのです。

だから、妻の価値観に合わせる、変化させるという形が一番平和な流れになります。

ただし、この場合、火加減もものすごく重要になるので、ママもパパが気持ちよく自分の価値観に合わせてくれるよう、暖かな心を使うことも忘れてはいけません。

パパも、自分にとってちょうど良い火加減を手に入れるためには、ママに心地よい風【優しい言葉】をかけてあげることが最重要です。

※私はできていません。

 

 

それでも上手くいかない時は、本音でじっくり話す

自分たちが目指す家庭像を、2人が同じものをイメージするために

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正反対の価値観の2人が同じ目的に向かうことは容易なことではありません。

でも、惹かれ合って一緒になったお互いですから、理想とする目的地にたどりつく素質や可能性は限りなく100%に近いと思っています。

それでもそこへ近づけないのはお互いのイメージしている家庭像をシェアできていないから。

2つの全くちがう価値観が、新たな3つ目の価値観を生み出した時、2人の関係はこの世で最強のものとなり、その姿をみて育った子どもは間違いなく幸せで豊かな人間に成長するでしょう。

 

と、自分に言い聞かせていきます。

 

【コロンビアの日々】人見知りが異国で友達を作る方法

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どうも、陽気伝道師コムヨシです。

以前の記事で、ボクがコロンビアに居た頃、大学へ通っていた話をちょろっと書きました。

com-yoshi.hatenablog.com

 約1年間通ったその大学で色んな友達が出来ました。今回は、どうやって友達を作ったのか、その時の話を少し詳しく書いてみようと思います。

 

ハベリアーナ大学の語学学校

 

ボクが1年間遊びに通っていた大学であるバージェ大学は国立で、国内でも有名(らしい)な大学です。最近天理大学と提携を結んだらしく、交換留学も行われているようです。

 

実はそのバージェ大学に通う前に、別の大学へも通っていました。

ハベリアーナ大学です。ここは確か私立で、かなり裕福な方々が通っていた印象があります。

ハベリアーナ大学では、大学内の語学学校へ通っていました。そこはそこで楽しかったんです。友達もできましたし。

ただ、ちょっと不満だったというか、面白くなかったのは、語学学校なのでコロンビア人の友達ができなかったことなんですスペイン語を学びにくるコロンビア人がいるわけないですから、当たり前です。

そう、ボクはコロンビア人の友達が欲しかったんです。だってせっかくコロンビアに来たんだもん。

語学学校でのクラスメートはアメリカ人が多かったですね。あとは、オーストラリア、スウェーデンの人なんかもいました。

学校が終わってからみんなでランチとかの約束をしてたんですが、ボクは行けませんでした。仲間はずれにされたわけじゃないですよ!

その大学からボクが住んでいた教会がとても近かったのと、当時の教会の体制として勝手に外食することは御法度だったから。教会で用意してくれている日本食の昼食を食べなければいけなかったんです。

せめて学校が遠ければ、何かしら理由をつけれたんだろうけど、距離にして200メートルくらいなので、言い訳ができなかったんですね。そして本当に真面目だったボク。

さらにその時のクラスメートって全員英語が話せたから、授業以外はみんな英語で話しやがるし、全然会話についていけないから結局行かなかったかもしんないんだけど。

語学学校では、最初は初級のクラスに入れてもらったんだけど、あまりにも初級すぎたので、途中から中級に入れてもらいました。

グンッとレベルが上がって大変でしたが、張り合いがあってとても楽しいクラスでした。

初級のクラスの先生は天理教の信者さんでとても優しい先生で、とにかくボクのことを気にかけてくれてフォローしてくれました。

中級のクラスでは、大学に在学中の生徒だったと思いますが、とてもフレッシュなコロンビア人男性が先生でした。

その先生は、ボクがコロンビアに行ってから最初に知り合った、天理教とも関係ない正に現地人でした。

彼もボクに興味を持ってくれて教会にも来てくれました。

どうやってそういう流れになったのかは正直覚えていませんw

ただ、当時は陽気伝道師になるための修行でコロンビアに渡航していたので、少しでも天理教というものを伝えたいという一心で接していたんだと思います。

 

中南米の多くの国はカトリック教徒で、若い人も信仰に対してとても積極的です。それでいて、異文化に対してとても理解があります。

「どんな教えなんだい?」

「どんな神様なんだい?」

という質問をどんどん投げかけてくれます。

もちろん私のスペイン語力では何も伝えられなかったのですが、それでも一生懸命心をこちらに寄せてくれました。

語学学校自体がたしか3ヶ月だけの契約だったので、彼との時間はそれくらいだったんですが、ボクにとっては生涯忘れられないコロンビア人の一人です。名前は全く覚えていませんが。

 

語学学校は、3ヶ月がワンクールみたいな感じで、終わってもまだ勉強したい人は契約を更新して再び3ヶ月勉強するというシステムでした。

本当は契約を更新する予定だったんですが、前述の通り、コロンビア人の友達が欲しかったのと、地元のスペイン語に触れたいというボクのわがままで、バージェ大学に通わせてもらうことになりました。

 

バージェ大学でのハンパない注目度

 

バージェ大学も教会からさほど遠い訳ではないですが、歩いて通える距離ではなかったので、(そもそも歩くというのがかなり危険)自転車を買って通学することになりました。自転車で10分かかるかかからないかくらいの距離だったように思います。

それでも、基本的に外出は禁止されていたので、緊張しながら通学していたのを覚えています。

というのも、当時はまだまだゲリラが活発な時代で、日本の企業の社長が誘拐されて殺されてしまったり、教会に隣接した建物に住んでいるマフィアと警察の大闘争があったりと、緊迫感がすごい時期だったんです。

また、当時はイラク戦争が世界的に注目を集めていましたが、コロンビアでも死者数がイラク戦争の死者数を遥かに上回っていたといいます。

そんな時に、ボクはコロンビアにいたんですね。よく行ったもんです。

コロンビア人の友達が欲しいという願望があっての通学でしたが、そういった時代背景もあったので、正直コロンビア人を信用していいものなのかという不安もありました。

 

 下ネタは世界共通言語

いよいよバージェ大学での授業が始まりました。

一番最初に受けた講義は確か「TEORIA DE LA HISTORIA」だっと思います。

「歴史の理論」とでも訳すのでしょうか。

なんでこんなのを選択したんでしょう。本当に馬鹿ですよね。

聞き取れる単語が一個もありませんでした。

教授がおじいちゃんだったこともあり、発音もよく聞き取れなくて、完全にマイッチングでした。

そして講義を諦めました。

でも面白いこともあったんですよ。

そもそも日本人が珍しすぎて、クラスのみんなが授業どころじゃないんですよね。先生もやたらボクのことチラチラ見てましたもん。そりゃ見るよね。

隣に座った2人組の友人アルベルトグスターボが、やたら話しかけてくれました。

「〜は日本語でなんて言うんだ?」

「自慰の仕方はどうやるんだ?」

「自慰は世界共通なんだな!」

とか、かなりエキサイティングしちゃいました。

この時確信したことは、男はどこの国でもバカで、下ねたが大好きっていうことでした。

グスターボとは、よく遊びました。

日本の文化に興味があったらしく、図書館に連れてかれてアジアの美術関連の本を見せられて、

「これは日本か?」

「じゃあこれは日本か?」

「これも日本か?」

ていうのをひたすら繰り返したり、忍者について説明を求められたり。

ボクも一生懸命答えてはみるんですが、やっぱり上手く説明できなくて、でも心は一生懸命こちらに向けてくれる。それがなんだか逆に申し訳ないみたいな感じにもなりました。

おかげでスペイン語を上達したい!って思うモチベーションにもつながりました。

 

サッカーに言葉はいらない

 

彼とはよくサッカーもしました。

中南米はたいていそうですが、コロンビアもサッカー王国です。広い大学の敷地内にはいくつもグラウンドがあって、その全てにサッカーゴールがあります。

サークル的な活動でサッカーをしていたり、プロを目指す様なチームがやっていたり、そこかしこでサッカーの試合をみかけました。

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ボクもサッカーが好きだったので、一緒に混ぜてもらってよくサッカーをしました。当たり前ですが、サッカーのルールって世界共通なので、言葉がいらないんですね。

サッカーやるたびに友達が増えました。サッカーやっててよかったなーって思えた瞬間でした。

ただ、やっぱり講義にはどうしてもついて行けなかったので、そのクラスに行くことも減り、仲良くしてくれたアルベルトやグスターボとは自然と会わなくなりました。携帯電話もなかったので連絡もとれませんでした。

 

ドーニャ・テレサとの出会い

 

他にもいくつか講義を選択していましたが、どれも全くついて行けなかったので、クラスに入りづらくなり、大学へ行っても授業は受けず、自転車で構内をプラプラするようになりました。

大きな体育館の前を通りかかると、入り口に売店があったので、ジュースでも買おうと思いフラッと寄ってみたんです。

そこの売店にいたおばちゃんこそが、後にボクに色々な友人を紹介してくれた大切な友人であるドーニャ・テレサです。

THE コロンビアのおばちゃん という風貌で、体格はしっかりして陽気な明るい、全てを包み込む優しさを兼ね備えた最高のアミーゴ(正確にはアミーガ)なんです。

彼女との出会いがなければ、その後のボクのコロンビアライフは全く違うものになっていたでしょう。

今回はこれまで!

 

 

【時代のうねり】流されると合わせるの違いって何?

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どうも、陽気伝道師コムヨシです。

最近、人工知能がどうだとか、ITがどうだとか、情報社会が急速に変化しているだとか、そんな言葉をよく耳にしますよね。

あんまり詳しい話はわからないんですが、どうやら今、大きな時代の転換期を迎えているのは間違いないようです。

時代に限らず、価値観や概念が変わるときって、変わるべきものと変えてはいけないもの的な話が、金魚のフンのようにくっついてきます。

そこで今回は、時代のうねりの中で、時代に流されることと、合わせることの違いについて、ボクなりの考えをまとめてみたいと思います。チェケラー

 

そもそも時代とはなんなのか。

 

時代について、ちょっとググってみたんですが、主に政治や社会といった国家体制の違いで時代を区切っていたり、権力者が大切にしていた文化などを時代の名前にしていることも多いみたいです。ん〜なるほど、時代ですね。

最近ではファッションとか風俗のあり方なんかで区切る事もあるみたいです。フムフム、時代ですね。

ボクなりの言葉で表現してみると、時代っていうのは時の流れってことだと思ってます。確かにそうなんですね。お〜、時代ですね。

 

川の流れに置き換えてみる

 

 時代が時の流れってことは、ボクたち人間はその時の流れの中で暮らしているって言うことは間違いないようです。

流れの中で生きているって言うことは、その流れに流されているって言うことなんでしょうか。もしかしたら大局的にはそうなのかもしれません。

時の流れと聞くと、映像としてイメージしにくいので、川に置き換えてイメージしてみようと思います。

目の前に一本の川があります。

ボクは大きなボートに乗っています。

そのボートにはボク以外に、お父さん、お母さん、4人の姉弟、おじいちゃん、おばあちゃんが乗っています。

ボートの中はごった返していますが、仲良く助け合いながら川を進んで行きます。

ボートの進み方を指揮しているのはお父さんです。お母さんは、指揮官であるお父さんが気持ちよく指揮をとるため、より適切な対応をとれるよう陰となり日向となってお父さんをサポートしています。

ある時事件が起きます。

おじいちゃんがボートを降りると言い出しました。

誰もそれを止めることは出来ませんでした。ボートを川岸へつけて、おじいちゃんがボートを降りるのを全員で見送りました。みんな悲しかったけど、おじいちゃんは満足そうでした。

しばらく行くと、おばあちゃんもボートをおりました。

姉や、弟たちもボートを降りて行きます。

しかし、寂しいことばかりではありません。

女性乗組員が増えました。そう、ボクの奥さんです。

子どもが3人乗って来てくれました。

それまでボートの指揮をとってくれていたお父さんが、指揮をボクと代わりたいと言い出しました。

自信はなかったけど、ボクはお父さんと交代しました。

お父さんと交代した時、ボクはふと思いました。

お父さんもおじいちゃんと交代したんだろうな。おじいちゃんはひいおじいちゃんと交代したんだろうな、と。

ということ、ボクも子どもにバトンをわたす時がくるってことなんだな。

お父さんやおじいちゃんは、何を基準に、何を大切にしてこのボートを漕いできたんだろう。

ボクは子どもに何を伝えるべきなんだろう。

今日も川は流れて行く。

 

大事なことはやっぱり目的地にたどり着く事と、進む理由。

 

なんか書いてたら、物語っぽくなってしまい感傷的になってしまいました。

そう、大事なことは目的地にたどり着くことなんです。

川が時の流れだとすると、ボートは技術や情報といったいわゆる社会というやつかもしれませんね。

ボートはやはりモノである以上、いつかは壊れるし不便さがどうしてもでてきます。当たり前です。

前より便利なボートがでてきたらそれに乗れば良いし、今までのデザインの方が良ければ乗り続ければ良い。

より確実に安全に川を進む技術や情報があれば、それを利用すればいい。したくなければしなくてもいい。

その時の判断基準をどうするかっていうのが大事になってきますよね。

 

判断基準となるアナタの価値観

 

判断基準は常にその人の価値観によると思います。

自分の中に絶対的な信念がある人、多数の意見を価値観とする人、宗教的な教えを価値観とする人、色んな価値観がありますが、私は断然、天理教の教えに拠り所を求めています。その価値観はいつかまとめれれば公開したいと思います。

たまにこういうことを言う人がいます。

時代が変わっても、時代に流されないような生き方を心がけましょう。と。

情報が溢れている今の時代、何を信じればいいのかわからなくなってしまっている人がたくさんいます。

私たちが生きていく上で、どんな価値観をもって、どんな判断基準をもってものごとを選択して行けばいいのか、とても難しくなってきているのかもしれません。

でも、ものごとって実は常にシンプルだったりもして、複雑化すればするほど、単純さを求めたりします。いわゆる本質っていうやつに行き着きます。

時代の変化っていうのは、本質のアウトプットの仕方、展開の仕方がそれまでと大きく変わる時期のことをさすんじゃないかなと思います。つまりは価値観が変わるっていうことでしょうか。もしくは新しい価値観が生まれる瞬間とでもいうのでしょうか。

いずれにせよ、そういった本質を具体化するのが時代の流れや変化だとするならば、それはつまり、価値観の変化によってなされているものなのかもしれませんね。

 

だからこそ大切にしたい、本質と価値観

 

なんだか書いてて訳が分からなくなってきました。

目的地が大事だと言いながら、この記事の着地点を明確にしないまま進めてしまったせいで、終わりが見えなくなっています。

でもいいんです。

たまに脱線する話の中に、自分の本質が隠れていたりするものなので、そういったものも大事にしていければと思ってます。余談です。

結局何を言いたくてこの記事を書き始めたかっていうと、

時代の流れにはしっかりと身を任せながら、自分の目的地を見失わずに、どんな時代でも楽しく力強く豊かに生きて行けるかを考えて行きたいなって思ったんですね。

端から見たら、時代に流されてるって見えるかもしれないけれど、自分がちゃんとした価値観と信念をもって、その流れに乗っているなら、それは流されているのではなく、流れに合わせているっていうことなんです。それでいいんです。

大事なことは目的地にたどり着くこと。

価値観は時代とともに流れている。つまり変わる。

変わったのなら、またゼロから考え直せば良い。

自分らしく、楽しく、力強く、豊かに

そのままのアナタで行きましょう。

 

この組織が一番大事にしていること

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どうも、陽気伝道師コムヨシです。

みなさんは、何かしらの組織に属していますか?その組織の体制や方向性に満足していますか?

もしも何かしらの不満やストレスを抱えている方の、心が少しでもフワッとなればとの思いで今回は書いてみようと思います。

よし!明日からかますぞ!とかなりませんよ読んでも。そんな気合い入りまくりの感じで読んだら火傷するからな。うそだからな。

軽い気持ちで読んでくれると嬉しいです。

 

ていうか、そもそも組織ってなんなの?

 

なんなんでしょうね。っていう感じですボクは。

でも、いくつかの組織に所属していて、ある組織ではトップを任されていたり、別の組織ではペーペーだったり、色んな立場を同時に体験しているので、それに比例して色々な事を感じています。

最近確信したことがあります。

組織って、なんかしらの目的を達成させるためにあるはずなんです。

会社なんかは特にわかりやすいと思います。

目的もなく漠然と会社おこす人ってまずいないと思うんです。(たぶん)

こういうのを売りたい、こういうのを提供したい、こういうニーズに応えたい、とか。

そういう目的というかゴールというか、それを達成させるために始める訳ですよね。その時の人数が一人だったら組織とよぶのかどうかは、ボクにはちょっとわかりませんが。

二人以上ならわかりやすいですね。

一人が社長で、もう一人は副社長?いろんな形があるんでしょうが、それも組織です。

一つの目的があって、それを達成させるための役割がある。

組織ってそんな感じだと私は認識しています。

 

その組織の目的ってなんですか?ってこと。

 

ボクは天理教という大きな枠での組織に入っています。

そして世界中に17,000弱ある天理教の教会の中の一つの教会の会長を務めています。

天理教には、婦人会、青年会、少年会、学生会

という年齢や性別で細かく分けられた組織があり、それぞれがその組織の中で、それぞれの特性を活かしながら天理教の果たす使命である陽気ぐらし世界を目指し、活動しています。

さらに、直属と教区支部という分け方もされます。

直属とは簡単に言うと家系図のようなもので、教祖から自分に至るまでの信仰が伝わって来た経路とでもいいましょうか、信仰=血縁と考えても差し支えないかもしれません。

教区支部というのは、都道府県を教区(例:青森教区、東京教区)、さらに教区内を地域ごとにわけたものを支部とよんでいます。

いま読んで下さってるアナタの心境と一緒で、もう何がなんだか訳がわからないんです。いや、わかりますけどね。めんどくさいんですよね。

わかるんですよ。色んな価値観とか世代とか、地域差とか男女の特性の別だとか、そういうものを細かくフォローしながらそれぞれが、よりイキイキ出来るようにそれぞれに特化したものを成したいという気持ちは、わかります。

でも、やっぱりしんどい。

何がしんどいのかを真剣に考えてみたんです。

身近な目的を完全に見失ってるってことに気づいたんです。

天理教は、その目的は先ほども書いたように大きくは陽気ぐらしです。

でも、その陽気ぐらしという生き方があまりにも漠然としすぎて、よくわからない

目指してる我々が本当はよくわかってない。こんな感じなんじゃないかなという感じはあるけど、イマイチ確信がもてない。

だから、正直なにをやったらいいのかわからない

いまの自分たちが目指すゴール地点が設定できない

つまり、目的がないままに組織だけが動いてるってことがボクが感じるしんどさの正体だったんです。

 

いくら正論でぶつかっても、分かってない人に何を言っても無駄だから。

 

そう、無駄なんです。

なんでって、分かってないから。

なにがわかってないかって、自分がなんのためにその組織に属しているのかすらわかってないから。

だから、ほっといたらいいんです。そんなところに大切なアナタのエネルギーを浪費するなんてもったいないお化けがでます。エコでいきましょうよ。

アナタがやりたいようにやればいい

その境地にたどり着くとある事に気づきます。

あれ?

ってなります。ボクもなりました。

何をやったらいいんだろう。どこに向かったらいいんだろう。

そこが出発点です。

そこまで来たらあとは出発するだけ、いや、もう出ちゃってます。ちょろっと。

そもそも組織っていうのは、目的が最初なんです。その目的に賛同してくれる人が集まるから組織として機能するんです

だから、その組織がもしも、目的地を見失っているなら、アナタ自信がわくわくするような目的を探してみましょう。

もしかしたら、その組織自体がもう必要ないって言う場合もあるかもしれません。思い切ってストップさせるのも新たな出発に繋がると思います。

 

目的地を照らしてあげようって思ったら、わくわくしてきちゃったぜ。

 

ボクは去年から支部の中の青年会委員長をやらしてもらってます。僭越ながら。

今ふりかえってみれば、完全に目的を見失ってる状態でした。

ぼくはそれを、上層部のせいにしてたんですよ。たしかに実際の原因はそこなんです。

でも、さっきも言ったように、言ってもわかんない人に何を言ったって何にも変わらないんです。自分一人が腹を立てて、面白くなくて、そんな機嫌のまま家に帰るから家庭内もちょっとぎこちなくなっちゃう。だれが悪いってボクが悪いんです。それがわからるから余計腹が立って、さらに上層部に腹を立てる。

THE 負のスパイラルです。

やっとそこから抜け出せたんですよね。しかも昨日。

毎月、支部青年会の例会をやってるんですけど、いつも行事に向けての相談ばっかりで、肝心な組織の相談がなされたことはほとんどなかった。

それを先月の例会では、いまある行事を見直して、やめるものは思い切ってやめた。その分、組織について考える時間を増やしたんです。

そして昨日の例会では短時間でしたけど、徹底的に組織の存在意義や目的、果たすべき使命なんかを話し合いました。

話し合いのポイントとしては、もしもこの組織が消滅したらどうなるか。誰か困る人はいるのか。なにか滞るのか。など。

こういう視点から組織を見たことによって、逆にこの組織にとって大事な部分が浮き彫りになりました

そして今回はこれだけで終わらなかったんですねー。

支部の中にも婦人会、少年会、学生会があるんですが、これらの会の連携が全くと言っていい程とれていない。むしろそれぞれの会にとって他の会の存在がちょっと邪魔くさい感じすらあった。同じ天理教で同じ目的に向かっているのに。

さっきもいったように、そういうのをボクは上層部のせいにしてたんです。

でも変わらないなら自分が動くしかない。そこで気づきました。

青年会を中心に各会をまわせばいい。

他の会が目的を見いだせていないのなら、青年会が目的地を照らしてやればいい。

そう思ったんです。上層部の指示をまって、それに従ってやるよりも全然面白い。仮に上層部から指示が出たとしてもそれが自分がわくわくするものだとも限らない。それなら自分がわくわくする目的に向かおう。そしてその目的を他の会ともシェアして、より盤石な体制でそこへ向かおう

しかも、無理矢理やらされてるような体制ではなく、それぞれの会がわくわくするような、わくわくのスパイラルが二重にも三重にも広がっていくような、そんなものを提供しよう。そんな例会になったんです。負のスパイラルから抜け出せて瞬間でした。

 

まとめ

 

いま三八支部青年会で一番大切にしていることは、集まる人数にこだわることではなく、伝統と言われる既存の形に固執することでもなく、それぞれがわくわくするようなことを探していくことです。

そしてその価値観を他の会に伝播させていくことです。青年会が中心となって企画するイベントに色々な価値観を詰め込んで、いままでみたこともないような景色をみんなで見に行く事です。

なんて素敵な組織でしょう!

よし!明日からかますぞ!

 

 

 

 

未来は真っ暗でいい

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どうも、陽気伝道師のコムヨシです。

今日は青森はとても暑いです。九州の方では記録的な豪雨に見舞われているようで、心配ですね。被害が少しでも広がらないことを祈るばかりです。

いまは、妻が病院で腎臓の検査を受けているので、クーラーの効いた車の中で、子守りをしながらブログを書いています。

ということで、今回はそんな妻の腎臓にまつわるお話。

 

20歳で慢性腎炎を告げられた妻

 

私の妻は私と同い年なんで今年33歳になります。

地元岩手の高校を卒業後、上京して順調に楽しく働いていました。お金を稼いで親にたくさんお金をプレゼントすることが夢だった妻は、それだけを生き甲斐に楽しく働いていたそうです。

仕事にもようやく慣れて来た頃、突如体調に異変が起こります。働くことはおろか、まともに生活することすら困難な状況。

病院で診てもらった結果、慢性腎炎という病気になっていることがわかりました。

渋々実家へ帰り、両親の世話になることになりました。当時、妻にとって一番辛かったのは、自分が唯一生き甲斐にしていた親孝行を奪われたことでした。つまり働けないお金を稼げないということでした。

兄弟の中でもひと際温厚だったという妻が、それこそキレたナイフのように家族に当たり散らしました。よかれと思ってかけてもらった言葉も前向きに捉えられない。余計なお世話。テメーになにがわかる。

次第にエスカレートする妻の態度に、家族は疲れ果て、同じ空間にいることが恐怖に感じることも少なくなかったといいます。

 

未来を照らしてくれた人

 

そんな荒んだ生活を送っている中で、救いを求めたのが両親が信仰していた天理教でした。たいして魅力も感じなかったけど、何かが変わればという思いで、両親の後について教会に通うようになりました。本部にも参拝しました。それでも一向に晴れない自分の心。本部の神殿からの帰り道、先が見えない自分の人生に涙をぬぐいながら歩いたと言います。

そんな本部参りを続ける中に、ある変化が起こってきました。

それは、ボクとの出会いでした。そう、コムヨシと出会ったんです。

ボクは、妻と出会う以前から妻の両親とは懇意にさせてもらっていました。そんな自然な流れで何気なく妻を見つけたボクは、何をいうでもなく妻と話しをしました。

その出会いをきっかけに、3ヶ月後にはお付き合いが始まり、その2ヶ月後くらいには結納と決まり、結婚となりました。

私がなぜ妻を選んだかというと、妻をたすけたかったからです。私にとってこの世界は夢と希望で溢れていると思っていたのに、妻にとってこの世界は苦痛以外のなにものでもなかったわけです。

たとえ病気であっても前向きに生きられる価値、魅力を与えたい。一緒に探していきたいって思ったんです。

 

だれかのために何かをすること

 

結婚後、教会での生活が始まりました。

結婚して気持ちに変化がでたとはいえ、病気が治った訳ではないので、相変わらずフラフラの生活が続きました。それでもいくらか体調の良いときは、ご飯支度をしてくれたり、家事を喜んでやってくれました。基本的に働くことが人一倍好きな人なので、やり始めると止まらなくなっちゃうみたいで、毎回やり過ぎで倒れてしまいます。

それでも不思議なもので、薄紙を剥ぐように少し、また少しと体調が上向きになっていったんです。ほんと不思議なもんです。

自分が生活するだけでいっぱいいっぱいなもんだから、出産なんてもってのほかなんです。医師からも出産はできませんよと言われていたそうです。

 

子ども、3人授かりました。それも全員ふつう分娩で。

 

出産は健康な体のお母さんでも大変な仕事なのに、ましてって感じです。それが産後も特に異常はなく、一応腎臓内科でも診てもらって、その後の様子をチェックしてもらってるっていう感じです。

ただ、完全に完治してるってことではないので、引き続き注意は必要なんですがね。

 

真っ暗だったからよかった

 

なんでこんなに妻の体調がよくなったんだろうって、ずっと不思議だったんです。特別薬を飲んでるわけじゃないし、意識してなにか特別なことに取り組んだってことも全くないんです。

ただ、教会に住んでることで、日常的に、誰かのために祈ったり、愚痴を聞いたり、っていうことはありました。

ということはですよ。

だれかのために何かすることが、よかったんじゃね?って思ったんです。

だって、それしかないんですよ。それしか。

教会は極端に収入が少ないから、何か特別なことをしてあげたいなって思っても、現実には金銭的にかなり難しい。だから妻には何もしてあげられなかったし、これからもその自信はないんですが。

ボクにとっての目的は、お金をかけてあげることではなく、妻を笑顔にすることだったので、その目的は少しずつですが果たせてるのかなとは勝手に思ってます。

 

おっと、

診察が終わったようです。

これから、かっぱ寿しの食べ放題に行ってきます。東北で唯一食べ放題やってる店舗が近くにありまして。

親指くらいのご飯しか食べられなかった妻が、食べ放題を満喫出来るようになったんです。

こんな妻の未来をだれが予想できたでしょうか。

未来は真っ暗。

なんて素敵でしょうか。