com-yoshiのブログ

現役の天理教教会長による、ぶっ飛びな天理教のお話や、だらけきった信仰体験談を通して、アナタのココロの筋力アップをサポートします。

第3話 「住み込み生活からの逃亡」「そんなに会長になりたいのか」〝思ってたんとちゃう〟教会長の日々

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どうもコム次郎こと、コムヨシです。

 

ブログを始めて3ヶ月程になりましたが、「コム次郎」シリーズがコムヨシブログ史上、空前絶後の大好評をいただいており、とてもビックリしています。

 

教会長になってから、特に大した成果をだしていないボクですが、若くして10年間「教会長をやっていた」という、ボクからしたらただの時間の経過が、人によっては価値のある話になっているようです。

 

ブログへのアクセスが上がることは、ブログを書き続けるモチベーションを保つ大きな大きな要素です。

 

でも、読んでいただくためには、価値のある内容でなければ読んでいただけないので、ボクも誰かの一助となるよう心を込めて、くそコムヨシ体験談を書きなぐっていきたいと思います。

 

前回のお話では

  • 不整脈という病気は、命にかかわるものとそうでない二種類にわけられる
  • ボクは「心房細動」という、命にかかわるやつにかかった
  • 長期入院を覚悟させられたが、一泊だけで退院した
  • 実は、いつ気を失って死んでもおかしくない程の重症だった

 

という内容でした。まだ読まれてない方はこちらからどうぞ↓↓

第1話:会長はつらいよコム次郎 〜〝思ってたんとちゃう〟教会長の日々〜 - com-yoshiのブログ

第2話:会長はつらいよコム次郎 第2話 〜〝思ってたんとちゃう〟教会長の日々〜 - com-yoshiのブログ

 

今回は

  • 教会長就任までのあれこれ

についてまとめてみようと思います。

 

 

 

住み込み生活から逃げ出したコムヨシ

不整脈も治まり、無事退院できたコムヨシでしたが、一つだけ不安がありました。

それは、上級教会での住み込みでした。

 

上級教会での住み込み生活は、色々な意味で精神的な負担がとても強く、正直なところ帰りたい場所ではありませんでした。

 

でも、「住み込みが終わったら好きなことをしてもいい」という親との約束があったので、そこはなんとしても終わらせてから自分の道を進みたいと思っていました。

 

陸奥川内分教会(むつかわうちぶんきょうかい)の会長になることを決意したものの、当初の予定通りいつ変わるという具体的な日程が決まっているわけではなく、当時の陸奥川内の会長さんと相談をされていたわけでもないようでしたし、ボクが一人決意しただけのことであって、それがために即時に何かが変わるというわけではないという状況でした。

 

上級教会の住み込み生活が2年目に入っていました。

当初は1年間で終わる予定だったんですが、翌年に「前真柱様」(天理教で一番偉かった方)が上級教会にお出でになることが決まっており、一人でも多く人手が欲しい時期でした。

断る事も可能だったわけですが、そういった方を「迎える側」を経験することは滅多にないことだと思ったのと、純粋に大変だろうから、微力ながら力になりたいと思ったからでした。

というわけで、まんまと(自分に)のせられて2年目を迎える事になりました。

 

 

そしてその年の9月、前真柱様がお出でになり、盛大な祭典が執り行われました。

 

「迎える側」として迎えた当日は、やはり「迎える側」でしか味わえない充実感や達成感があり、とても有意義な時間を過ごす事ができました。

 

祭典も終わり、数日間はその余韻に浸りながら、片付けやその他の仕事をこなしていました。

 

毎年3月と9月の彼岸月に、天理教では「霊祭」(みたまさい)というものが各教会で勤められます。

 

上級教会では、23日に霊祭が勤められているんですが、この霊祭を勤め終えたとたん、ボクの中で何かが切れたんです。

 

その日を境にボクは、何かにせかされる様に上級教会の方々に勤めを終わらせる旨を伝え、実家に帰ってきました。

やめることを相談したのではなく、「今日でやめます。帰ります。」と、強引にそして勝手に帰ってきたんです。

 

退院後も上級教会での精神的な負担が変わる事はなくて、自分の心の弱さ、甘さから、その場を逃げ出しました。

 

 

 

そんなに会長になりたいのか

住み込み生活から逃げ出したボクは、中学卒業以来ほとんど帰ることがなかった実家での暮らしを満喫していました。

 

満喫してはいたものの、どこか後ろめたさというか、逃げ出した恥ずかしさというか、親への申し訳なさというか、モヤモヤしたものを抱えながら暮らしていました。

 

かと言って、逃げ出したことに対しての後悔は全くなくて、そこに関しては例えようのない爽快感に浸っていました。

 

もう一つ心に引っかかっていたのは、陸奥川内の件がどうなるのかということでした。

 

少し信仰的な話になりますが、不整脈が治ったのは教会長として陸奥川内に行く事を決心したからだと確信していました。

ボクの命は陸奥川内に行ってこそ役立てられる。

そんな風に思っていたので、もしも陸奥川内の話がなくなったら、ボクの命はどうなるんだろうという不安があったんですね。

 

別に会長になりたいってことではなくて

会長になることを決心して助けられた命が、会長にならなかったらどうなるんだろうって思ってたんですね。

 

というのも、住み込みの勤めを中途半端な形で投げ出すようなヤツに、会長という立場を与えられるとは到底思えなかったんです。

 

そんなことを考えながら、特に誰かに相談するわけでもなく、ただただ時間が過ぎ、実家である百石分教会の秋の大祭(1月と10月は月次祭とは言わず、大祭といいます)を迎えました。

 

百石の月次祭には上級教会から会長さんや前奥さんがお出でになるんですが、その日は会長さんがお越しになりました。

 

バツがわるくて顔を合わせられず、申し訳ないやら恥ずかしいやらという感じでモゾモゾしながら、その日のおつとめを勤め終えました。

 

祭典後、上級の会長さんから客間に呼び出されました。

 

怒られるんだろうな、と思いながら恐る恐る客間に向かいました。

 

顔をあげられず、下を向いたまま会長さんの前に座ると、会長さんの口から思いもよらぬ言葉をかえられました。

 

 

陸奥川内の会長さんが、そろそろ会長をやめたいと仰っているので、改めて陸奥川内へ行ってもらうお願いに上がりました」

 

 

まさかの展開に驚きましたが、ボクには断る理由が一つもなかったので、こんな自分でよければと、お受けしました。

 

 

その後、奈良県天理市にある天理教教会本部で、会長になるための講習会を受講し、あとは願書を提出して本部に届け、「お運び」とよばれる会長就任の儀式をするだけという段階で事件はおこりました。

 

 

そろそろ会長をやめたいと仰っていた、当時の陸奥川内の会長さんが、「やっぱりやめない」と言い出したんです。

 

やめない以上は、ボクがなるわけにもいきません。

願書もまだ作っていたわけでもないし、まあいっか、という感じではありました。

実質、会長になる話が白紙になりました。

 

正直なところ、父は息子が会長になることをあまり望んでいなかったようで、話が流れたことをわりと喜んでいたように思います。

 

子どもを思う親心だったと思います。

 

苦労すると分かっている教会にわざわざ行かせるのは、誰でも気が進まない事だと思います。

 

父はボクに「本部勤務」を進めてきました。

 

ボクはその勢いに圧倒されたのか、「本部勤務もありかな」という軽い気持ちで、その思いを受けることにしました。

 

早速父は、既に申し込みが終了していた本部勤務の受付に電話をかけ、特別に面接を行ってもらえるよう取りはからってくれました。

 

こういうときの父の行動は本当に早い。よほど会長をさせたくなかったのでしょう。

 

 

本部勤務に行く覚悟を一旦は決めたボクですが

 

〝たすけられた命〟

 

この言葉がどうしても頭から離れません。

 

本当にこれで良いのだろうか。

 

なんというか、神様から試されているような感覚でした。

 

一度は会長になると決心したものの

 

『その決心が本物なのか? 本当にお前は行く覚悟があるのか?』

 

と問われている気がしました。

 

 

こちらから改めてお願いし、それでも会長さんがやめないというのであれば、その時は潔く本部勤務の道を選ぼう。

 

そう心に決めて、就寝前だった両親の部屋へ向かいました。

 

 

ボクの思いを聞くなり父は

 

「そんなに会長になりたいのか」

 

と、顔を合わせません。

 

「なりたいわけではない。本当にこれでよいのか確認したいのだ」

 

と、告げました。

 

母は

「それが、あんたの出した答えなんだな?」

 

と、笑顔で受け止めてくれました。

 

 

翌朝、上級の会長さんにその旨を電話でお伝えさせていただきました。

 

お昼過ぎに突然、上級の会長さんが来られ驚いていると、その後ろには陸奥川内の会長さんの姿もありました。

 

そして

 

お二人で口を揃えて

 

「改めて、お願いにあがりました」

 

ボクは、あまりに目まぐるしい事態の展開に動揺しながらも、どこか清々しい爽快感も感じていました。

そして、後へ引けない状況に気を引き締め、姿勢を正し

 

「こちらこそ、よろしくお願いいたします」

 

と、答えたのでした。

 

 

 

つづく